カナダの密輸王が育てたライウイスキー【前半/全2回】
文:ブレア・フィリップス、ダヴィン・デカーゴモー
バンクーバーを出港したマラハット号の船倉には、6万ケースものウイスキーが積まれている。このウイスキーの届け先がどこか、知らない者など誰もいない。全長80メートルのスクーナー船には、5本のマストが立っている。帆を張っていないときは圧倒的にパワー不足で、追跡されたらあっという間に拿捕されるだろう。そんな無防備な姿さえ、大胆さの裏返しだ。無慈悲な禁酒法が施行されている米国は、もう目と鼻の先。危険な密輸のミッションを前に、船長や乗組員が怯んだりはしない。
カナダの海域に留まる限り、その積荷を咎める者はいない。入り江になっているバラード海峡を抜け、マラハット号は南西に舵を切ってガリアーノ島へ向かう。うまく満潮の時間に重なれば、幅2キロの水路「アクティブパス」をすぐに抜けられるだろう。カナダ湾の島々を見ながら南下し、ファンデフカ海峡を真西に抜けて外洋に出るのだ。
このマラハット号は、関係者から母船(マザーシップ)と呼ばれている。カナダの海域を出ると、アメリカ北部やカリフォルニア半島の沖合に何ヶ月も停泊し、国際水域から積荷を供給する。ケース入りのボトルを受け取るのは、配給用の中型船やアメリカの密造業者たちが乗り込んだ高速船だ。
アメリカの沿岸警備隊がやってくることもあるが、国際水域なので遠巻きに旋回しているだけ。この安全な場所で、バンクーバー、メキシコ、タヒチなどから小型船が運んできた新しい酒瓶を受け取って積み込むのもマラハット号の仕事だ。
アメリカの禁酒法といえば、シカゴやニューヨークなどの東部で巻き起こったハイジャック事件や、ギャングの血なまぐさい抗争などが有名なハリウッド映画の題材となっている。それに比べると、アメリカ西海岸における密輸の実態が、色鮮やかに活写される機会は比較的少なかった。まるで平穏だったとは言えないが、少なくとも東海岸よりは整然と密輸業務が続けられていたからだ。
バンクーバーを出港する乗組員たちは、みな「秩序正しく、忠実に、誠実に、沈着冷静に、常に職務に精励する」という誓約書に署名したのだという。アメリカの沿岸警備隊は沖合から12マイル以上離れた貨物については放任してくれたので、沿岸警備隊の監視船が邪魔になるどころか、かえって海賊やギャングたちの仕事をやりやすくしてくれる存在だった。
もぐり酒場街の帝王
この一連の違法な事業を監督していたのが、ナナイモとバンクーバーを拠点とするライフェル家だ。悪名高いもぐり酒場通り「ラム・ロウ・ウエスト」では王族のように語られ、ライフェル家の家長であるハインリッヒ・ライフェルは紛れもない密輸酒の帝王だった。
ハインリッヒ・ライフェルは、18歳で祖国ドイツのシュパイヤー(ライン川流域)からアメリカに渡った。新大陸では、まずサンフランシスコ、次にオレゴン州ポートランドでのべ5年間にわたってビール醸造の経験を積む。その数年後に北のカナダへと移り住み、1888年にブリティッシュコロンビア州ナナイモでビール醸造所を創設した。
ハインリッヒは、カナダでのビール醸造を発展させるべく野心的に事業を拡大した。酒造業は軌道に乗ったが、1917年にブリティッシュコロンビア州の飲料用アルコール販売が違法となる。ライフェルは2人の息子を呼び寄せ、ビール醸造の機器と一緒に日本へと渡った。日本でビール醸造所を設立したライフェル一家は、米を原料にしたビール製造の技術なども開発して短期間で成功を収めた。
その間のブリティッシュコロンビア州で、禁酒法が厳格に施行されることはなかった。結局カナダの禁酒法は1920年までに廃止。ライフェル夫妻は日本での事業を売却し、再びカナダで酒造業をやりなおすことにした。
ビール醸造事業を再開しようとしている矢先、今度はアメリカが1920年に禁酒法の成立を宣言する。ウイスキーを蒸溜すれば、アメリカに販売して大儲けができるかもしれない。そんなチャンスが到来したのである。
ハインリッヒはすぐにブリティッシュコロンビア州の禁酒法施行で破産したバンクーバーの蒸溜所を購入。そこで生産した蒸溜酒をマラハット号に乗せた。ケースに詰め込まれたボトルカタカタと揺らしながら、密輸船団は、国境を超えて南へと向かったのである。
アメリカ西海岸にウイスキーを供給していた密輸業者は他にもいた。だがライフェル家はさまざまな才覚で取引を独占し、巨万の富を得ることになった。そして1933年にアメリカの禁酒法時代が終わると、すぐさまウイスキー蒸溜とビール醸造の事業から撤退。その後はバンクーバーで美術館や劇場を運営し、フレーザー川の島に850エーカーの鳥類保護区を設立するなどの慈善事業に力を注いだ。
ここで終わっても、十分に面白いビジネス盛衰記だ。だが実際には、もっと興味深い新しい物語がここからようやく始まるのである。
(つづく)