もぐり酒場の帝王と呼ばれたハインリッヒ・ライフェルの子孫が、アルバータ州でのライウイスキー製造に乗り出す。飛躍的な成功に導いたのは、沖縄の泡盛づくりで学んだ麹菌だった。

文:ブレア・フィリップス、ダヴィン・デカーゴモー

 

第2次世界大戦後のカナダはまだ未開の地が多く、特に西海岸から少し内陸に入った地域は貧困にあえいでいた。アルバータ州もそのひとつである。現地での雇用を創出するため、カナダ政府は多額の資金投入を決定した。

時は1946年。地元のアルバータ州では、2人の裕福な慈善家であるマックス・ベルとフランク・マクマホンが地方振興に乗り出した。政府資金の援助を得ながら地元の穀物市場を確立させ、その穀物を原料にした蒸溜酒の製造に乗り出すように政府から要請されたのだ。

自由に使える大金を手にした2人だが、酒造の経験はまったくない。蒸溜所の仕組みについてもわかっていなかった。そこで誰か頼れる人はいないかと回転式の名刺ホルダーを回していると、「ライフェル」という名前が目に飛び込んでくるのである。

カクテル文化の隆盛に大きな貢献を果たしてきたライウイスキー。カナダのアルバータ州でつくられる「ライフェル・ライ」は、古き良き北米の伝統を感じさせる味わいだ。メイン写真は、左からパット・スウィーニー(ビームサントリーのカナダ支社長)、ジョージ・ライフェル(伝説のハインリッヒ・ライフェルのひ孫)、ジョージ・タイクローブ(アルバータ・ディスティラーズのゼネラルマネージャー)

ジョージ・H・ライフェルは、もぐり酒場街の帝王ハインリッヒ・ライフェルの孫にあたる人物だ。カナダに移り住んだ移民の3世として、ジョージは父と祖父に莫大な富をもたらしたウイスキーの魔法は忘れていない。マックス・ベルとフランク・マクマホンから打診を受けると、ほとんど迷うことなくカルガリーに移住した。

一族の潤沢な資金を背景に、ジョージはアルバータ・ディスティラーズ・リミテッド(ADL)の設立に乗り出した。アルバータ州南部の気候に適した穀物といえばライ麦だ。地元の農家もすでにライ麦を栽培しているので、ジョージは蒸溜所の製造工程をすべてライ麦原料に最適化した。

ここで時間を禁酒法前の1910年代に巻き戻そう。カナダの禁酒法を逃れて日本に渡ったハインリッヒ・ライフェル夫妻は、現地で日本独自の発酵技術や蒸溜技術に出会っていた。そんな技術の中に、沖縄の泡盛づくりで使われる麹菌も含まれていたようだ。この麹菌による糖化技術が、カナディアンウイスキーの歴史に重要な影響を及ぼすことになる。

ライ麦を原料とした蒸溜酒づくりには苦労が多い。ウイスキーづくりを始めた頃、ジョージはライ麦特有の粘着性のあるマッシュで苦労した。そこで先祖のノウハウを振り返り、ADLでは麦芽の酵素による糖化から、泡盛に使用されるクエン酸生成能のある黒麹の酵素による糖化へ変更。この判断が功を奏し、やがてADLは1970年代までにカナダを代表するライウイスキーの生産者となる。ジョージ・H・ライフェルは、そんな成功を見届けてから引退した。

北米の蒸溜所の中でも、ほぼ地元産のライ麦だけでウイスキーをつくるADLは異色な存在であり続けた。やがてカナダの蒸溜所が国外にバルク原酒を出荷するようになると、ADLも大手メーカーが販売するウイスキーの原酒に組み込まれる。だがADLは、バルクで買ってくれるメーカーにも原産地の公開を許さなかった。バイヤーがウイスキーのプロフィールを変更した際に、ADL自身のブランドを保護するのが目的である。
 

北米屈指のライウイスキーで勝負

 
生粋のウイスキーファンたちが、ADLのライウイスキーを本格的に見出したのは2010年頃のこと。ポットスチルで蒸溜されたスコッチウイスキーにも負けない豊かな風味があり、当時ほとんど忘れられていた古き良きアメリカンライウイスキーの真髄を再現したような味わいだったからだ。

当時はアメリカ国内でのウイスキーブームによって、多くの在米蒸溜所が需要増に追いつけなくなってきた時期。でもADLは倉庫に膨大な在庫を抱えていた。小規模なカナダのブランドが、大規模な蒸溜所の経験に学びながら独自に発展させた効率的な生産システム。それがアメリカンウイスキーのメインストリームにも真価を認められる流れができた。

アルバータ・ディスティラーズのライウイスキーが味わえる現行商品。新しいライフェル・ライ(中央)、アルバータ・プレミアム(右)の他に、サントリーのワールドウイスキー「碧Ao」(左)にも原酒が使用されている。

元メーカーズマークのマスターディスティラーを務めたデイヴ・ ピッカレルの指導で、まずはホイッスルピッグがADLのウイスキー(10年熟成)をボトリング。その後もホッホスタッターやマスターソンなどのメーカーが追随した。だがADL自身は、しばらく自社ブランドのウイスキーを発売することがなかった。

だがようやくADLは、2012年にようやくライ100%のウイスキーのバーボン樽熟成原酒とシェリー樽熟成原酒をブレンドした「アルバータ・プレミアム・ダークホース」を発売。素晴らしいウイスキーとして評価されたが、「ダークホース」の商標を他メーカーが保持していたので「ダークバッチ」と改名した。だがこのブランドもダークホース同様に後は続かなかった。

最近のADLは、ビジネスモデルを変更し、バルクウイスキーの販売量を減らしながら自社ブランドの幅を広げつつある。その第一弾は、「ラム・ロウ(もぐり酒場通り)の王者」と呼ばれたヘンリーことハインリッヒ・ライフェルの伝説に光を当てたもの。その名も「ライフェル・ライ」で、中身は「アルバータ・プレミアム・ダークホース」の流れを汲む。ポットスチルで蒸溜したライウイスキー100%に、コラムスチルで蒸溜したライウイスキーを少なめにブレンドし、バーボン樽とシェリー樽の熟成香をトップノートに加えた味わいだ。何世代もの伝統に想いを寄せ、ボトルのコルク栓にはライフェル家の家紋を記している。

あのライフェル家が、まだ海に船を浮かべているのだと思えば心は躍る。現在5代目となるライフェル家は、カナダで存続する唯一のウイスキーファミリーとして新しいライウイスキーづくりにも関わってきた。バンクーバーのオフィスでは、ハインリッヒのひ孫にあたる4代目のジョージが樽に囲まれ、その息子の5代目ジョージも同じ倉庫の樽からライウイスキーを試飲していた。ここには1950年代初頭に蒸溜された原酒もある。その馥郁たるアロマが、遠い記憶を呼び起こしてくれるのは間違いない。

世界5大ウイスキーの一角をなすカナディアンウイスキーの歴史で、ライフェル家は5世代にわたって業界の発展を支えてきた。バンクーバーで19世紀に設立されたビール醸造所。アメリカ人が求める密輸酒を満載し、国際海域へ漕ぎ出した帆船。そして再び、アメリカのライウイスキー愛好家たちが憧れる新商品「ライフェル・ライ」が伝統を継承する。

アメリカで最も風味豊かなウイスキーの一部が、カナダ産であることを静かに誇ってきたライフェル家。だがもう沖合でこっそり商売をやる時代ではない。カナダが誇るライウイスキーの魅力を、高らかに宣言するときがやってきたのだ。