テロワールはウイスキーの香味にどんな影響をもたらしているのか。ウォーターフォード創設者、マーク・レニエの哲学に触れる2回シリーズ。

文:クリストファー・コーツ

 

数十年にわたってウイスキー界で働いてきたマーク・レニエは、今やテロワールとフレーバーの深い関係を訴える伝道師のような存在になっている。

マークはワイン商だった父親から、ある種の英才教育を受けて育った。夕食時になると父はワインをグラスに注ぎ、子供たちにその銘柄を当てさせたという。そしてマークの最初の仕事は、ワインを瓶詰めする前のボトル洗浄だった。

やがてマークは、偶然にもウイスキーの香味と出会う。そして1960〜1970年代に蒸溜されたシングルモルトスコッチウイスキーの虜になった。希少なボトリングやカスクサンプルの香味に圧倒された出会いの瞬間を振り返ると、今でもゾクゾクするのだという。当時を回想して、マークは興奮気味に話し始めた。

「本当に魂が震わせるような美味しさでした。こんな一流の美食と呼べる飲料が、ここ英国でもつくられているのか。そんな事実に深く感動しました。しかもなぜかまったく有名じゃない。ウイスキーの香味なんて、当時はまだ一般的には広く知られていなかったんですよ」

ワインと蒸溜酒に対する情熱なら、誰にも負けたことがないというマーク。その熱意は今日まで色褪せることなく、キャリアと名声に大きな影響を与えてきた。独立系ボトラーのマーレイ・マクダヴィットを設立し、アイラ島のブルックラディ蒸溜所を再建。最近ではアイルランドのウォーターフォード蒸溜所とカリブ海のグレナダ島のレネゲイド・ラム蒸溜所を設立した。

マークが手掛けてきた起業家的なプロジェクトは、スピリッツの世界で非常に多くの信奉者を魅了している。ファン、愛好家、マニアなどのフォロワーだけでなく、弟子入り志願者たちも集まってくる。マークの扱うウイスキーが好きなだけでなく、マークの信条を心から受け入れて共感する人々だ。

このように求道的な人々が集まってくる理由はいくつもある。簡単に言うと、マーク・レニエのプロジェクトは、ただ黙々とスピリッツを作り、ボトリングし、販売するという従来のウイスキーづくりを超えていた。消費者や業界が不変のものと決めつけがちな既成概念に挑戦し、難しい問いを投げかける。そんな精神が、マークによるウイスキービジネスの核心だった。

みんなが飲むウイスキーを変える。それだけではなく、それを飲むみんなの考え方を変える。これがマークの生き甲斐だ。そうやってマークは、ウイスキーの世界に揺さぶりをかけることを自らの責務であると意識してきた。

例えばマークは、現代のウイスキーメーカー各社の姿勢を批判している。なるべくコストを抑えてアルコールを製造し、熟成期間の最後に変わり種の樽で後熟して風味を加え、最終製品として売り出すためのストーリーを考える。そんな業界の常道について、マークは「ウイスキーづくりのシニカルな時代」と切り捨てる。

経済性や効率性を追い求める現代のウイスキーづくりに疑問を呈する一方で、マークはスピリッツの個性を重んじていた1970年代以前のウイスキーづくりを「無垢な時代」と呼んで対比している。
 

問題提起としてのテロワール重視

 
マークはビジネスパートナーたちと手を携え、ウイスキーのつくり方やスピリッツの味わいを再発見してきた。みずからの信じる哲学や信念から出発し、その高尚な理想を実践するためにボトラーとしてのポートフォリオを組み、後には蒸溜所の生産現場で実証することになった。

複雑なロジスティクス、自前で構築するサプライチェーン、平均以下の歩留まり、リスクのある困難な選択。それがマークらしいビジネスの流儀であり、現在も変わっていない。

2000年当時に600万ポンド(約9億5千万円)の巨費を投じてブルックラディ蒸溜所を再建した時、アイラ島は新しいウイスキーブランドを立ち上げる拠点として必要以上に困難な場所と見なされていた。そもそもウイスキー事業自体に成功が約束されていたとは言い難い時代だったのである。

当初は異端視されていたテロワールへのこだわりも、正当な路線であったと証明されつつある。マーク・レニエの揺るぎない信念は、ウイスキー業界の常識も変えていく。

ウォーターフォードとレネゲイド・ラムの新しいプロジェクトは、どちらもアイラ島から遠く離れた島にある。だがマークはあくまで愛するヘブリディーズ諸島を拠点としてきた。アイラ島の農場を捨てて、南国の楽園やエメラルド島に永住することはおそらくないだろう。ブルックラディは、アイラ島で最も経済的に活況な蒸溜所だ。多くのアイラ島民を雇用し、地元企業とも深く関わっている。そんな事業のスタイルが、ブルックラディを特別な場所にしている。

ブルックラディというブランドは、その愚直でストレートな主張が一部のファンの心をつかんでいる。だがマークは、ことさらに革新的であろうと背伸びしている訳でもないし、逆張り戦略をとっている訳でもない。ワイン樽を重用する方針にしても、特に目新しいものではない。長年にわたって支持してきたコンセプトの繰り返しが、時を経て価値あるものと証明されてきたのだ。

地元産の大麦を使用し、テロワールを重視した製造方法。マッシングと発酵へのこだわりや、ひとつの蒸溜所で複数のスタイルのスピリッツをつくるという発想なども重要だ。もちろん企業の透明性や、カラフルで現代的なブランディングも先駆的である。

レミー・コアントローは2012年にブルックラディを5,800万ポンド(約90億円)で買収したが、事前の検討期間中にマーク・レニエの努力の結晶を高く評価したに違いない。ちなみにマークはこの売却に公然と反対した唯一の株主であり、当時はかなり不満だったことを認めている。

だがおそらくマークの先見性がもっとも強く現れているのは、長年にわたる農業への取り組みであろう。ウイスキーが単なる工場生産のスピリッツではなく、あくまで農産物だと考えるマークの主張は重要だ。

このような農学主導のウイスキーづくりにこだわるのは、地元産の農産物、環境保護、ひいては環境に配慮したサプライチェーンにも注目が集まる現代を先取りした視点だった。そしてマーク・レニエの原点は、アイラ島の味を再現した製品をつくりたいという願望にこそあった。

その方針が、決して容易ではないことも承知の上だった。アイラ島で麦芽を栽培することさえ、並大抵のことではないのだとマークは言う。

「アイラ島では、4月末まで気温が10℃前後までしか上がりません。5月上旬まで何も育たず、その時点でイングランドの農家に何週間も遅れをとっています。ただしヘブリディーン諸島の夏は日照時間が長いので、スタートが遅れても多少は補える計算になります。そして秋の雨が降る前に作物を収穫し、急いで畑から運び出します。アイラ島の大麦栽培は、非常に限られた時間内でやるしかないんです」

地元産の大麦を使うというアイデアは、伝統品種を含むさまざまな大麦の実験にもつながった。これが徹底してテロワールにこだわる現在の方針へと発展していくのだ。現在のウイスキー業界でもまだ少数派だが、ウォーターフォードやレネゲイドの根底にはテロワールをあくまで追求する哲学がある。
(つづく)