トマーティン蒸溜所の大躍進【前半/全2回】

April 17, 2017


ウイスキーマガジンの「アイコンズ・オブ・ザ・ウイスキー」で、2017年度の「ブランド・イノベーター・オブ・ザ・イヤー」に輝いたトマーティン蒸溜所。1年前には、同「ディスティラリー・オブ・ザ・イヤー」を受賞したばかりである。躍進の秘密を探ろうとスコットランドに飛んだ。

 

文:ステファン・ヴァン・エイケン

 

トマーティン蒸溜所を案内してくれたのは、グレアム・ユーンソン蒸溜所長。大胆な生産方針の転換に成功し、トマーティンのイメージを一新した。

近年のトマーティンの躍進は、蒸溜所長であるグレアム・ユーンソンの周囲から巻き起こっている。さまざまな意味で、グレアムがトマーティン蒸溜所にやってきたのは小さな奇跡と呼べるものだった。

そもそもグレアムは生まれも育ちもオークニー諸島で、そのまま故郷に骨を埋めるつもりだった。大学進学の年齢になり、両親が離島を勧めても、彼は頑なにオークニーを離れなかった。本土の大学へ進学する代わりに、グレアムはオークニーで大工と指物師の見習いになる。だが駆け出しの時代に、サッカーで脚に怪我を負って仕事を続けられなくなってしまった。

グレアムはすぐさま次の職を探し、53件の求人に応募した。でも返事が来たのは2件だけ。第1志望だったスキャパ蒸溜所の仕事はデレク・シンクレアという男の手に渡り、ガレージで働くことになった。だがスキャパは2ヶ月後に再び連絡をくれ、貯蔵庫番の仕事なら空いているという。グレアムはスキャパ蒸溜所に転職し、それ以来ウイスキー業界を離れたことは一度もない。

ある時、スキャパ蒸溜所の糖化棟で欠員が出て、蒸溜所長がグレアムにシフト制で仕事を掛け持ちしてみないかと声をかけた。ウイスキーづくりを習得したかったグレアムは糖化工程を学び、3〜4週間に一度は貯蔵庫番に戻った。このようにして彼は2種類の技能を手にし、徐々に事務所仕事もおぼえ、蒸溜所経営にも理解を深めていった。

だが未来には暗雲が垂れこめていた。スキャパ蒸溜所は徐々に経営が悪化し、早晩仕事がなくなることは明らかだった。そこでグレアムは自分の信念を曲げ、荷物をまとめてオークニー諸島からスコットランド本土へ。グレンドロナック蒸溜所で醸造工程の助手を務めることになった。

すぐに醸造責任者に昇進したグレアムだったが、わずか3年が過ぎた頃(1996年)にグレンドロナックの経営も悪化する。グレアムはバルブレア蒸溜所の蒸溜所長の募集に応じるが、またしてもこのポストはスキャパのときと同じデレク・シンクレアが手に入れた。

結局グレアムはグレンモーレンジィ蒸溜所に移籍し、最初の1年半はビル・ラムズデン博士の書生として勤務。やがて副蒸溜所長を経てグレンモーレンジィの蒸溜所長となり、幸福な11年半を送っていた。そこに新しいチャンスがやってくる。インバネスのスターバックスで、スチュアート・ニコルソンと落ち合って話を聞いた。当時のスチュアートは、1986年以来休業状態にあるグレングラッサ蒸溜所の再興計画に関わっていた。グレアムは当時を回想する。

「スキャパ、グレンドロナックと2軒の蒸溜所の閉鎖を見てきました。だから何かを新しく始めることで、バランスを取り戻せるんじゃないかと思ったんです」

グレアムはスチュアートの申し出に応え、グレングラッサで3年間を過ごした。トマーティン蒸溜所のCEOであるロバート・アンダーソンから電話がかかってきたのはその頃だ。グレアムはトマーティンの蒸溜所長という新しい要職を引き受け、それ以来これまで6年間にわたって同蒸溜所の名声を高める重要な役割を果たしてきたのである。

 

大規模生産からの方針転換

 

古いマッシュタンの内部に入って観察する。こんな体験ができる蒸溜所は、トマーティンの他にないだろう。

グレアムの説明によると、トマーティン蒸溜所の正式な設立は1897年だが、ウイスキーづくりの歴史はカロデンの戦い(1746年)の時代にまでさかのぼる。この地は水が豊富で、インバネスの牛追いたちが通る道沿いにあるため交通の便もよく、ウイスキー生産には格好の場所だった。

トマーティン蒸溜所は徐々に隆盛し、1974年にはスコットランド最大のモルトウイスキー蒸溜所になった。当時は純粋なアルコール換算で年間1,250万Lもの生産量を誇っていたという。現在の大麦に置き換えると(新種の大麦は1974年当時の大麦よりもアルコール収率が高いため)年間約1,450万Lに相当する量であり、現在のザ・グレンリベット、ザ・マッカラン、グレンフィディックにも匹敵する規模である。

1986年、トマーティン蒸溜所は宝酒造に買収される。現在は量よりも質に重点を置いた生産体制で、年間生産量は約2万Lにまで減らした。蒸溜所内を歩きながらグレアムは語る。

「トマーティンは、いちばん美しい蒸溜所にはなれない。ならば『いちばんためになる蒸溜所』になろうと決めたんですよ」

超大規模蒸溜所だった頃に使用されていた設備は、処分せずに蒸溜所内で保存して、ウイスキーづくりの工程についてより深く学べるように展示されている。マッシュタンの中を覗き込む体験は珍しくないが、マッシュタンの中に入れる蒸溜所はトマーティン蒸溜所の他にないだろう。

ここにあるのは、実際にスコットランドで最初に使用されたフルサイズのラウタータンだ。生産量を減らした現在、蒸溜所では最新のマッシュタン(容量8.2トン)1槽があれば充分。そこで古いマッシュタンを分解し、歩いて中に入れるようにして、糖化の仕組みが体験的に理解できる展示を考えたのだ。

蒸溜棟には最新式の多管式コンデンサーが置かれている。ここでもコンデンサー内部を細かく観察して、実際のプロセスでどう機能するのかがよくわかるように展示している。1930年代に造られた古いポーテウス社のミルも、グレアムの考えで展示した。その気になれば現役でも使えるらしいが、生産量を減らした今となってはその必要もない。新しいポーテウス社のミルが、毎週130トンの大麦を処理できるからである。

古いコンデンサーは分解して展示。シェル&チューブ(多管)式のコンデンサーの仕組みを、ようやく実感として理解する人も多いはず。

トマーティンは、確かに見目麗しい蒸溜所ではないかもしれないが、グレアムの言うとおり「正直な蒸溜所」であることは間違いない。誰もが蒸溜所の歴史を垣間見れるように、さまざまな過去の遺物がそのまま保存されている。さらにはウイスキーづくりの技術面についても詳細に公開することで、オープンな議論ができる環境を作っている。

新しい糖化棟には、ステンレス製のウォッシュバックが12槽ある。それぞれのウォッシュバックには3つの窓があり、そのひとつは非常に小さい窓だ。この窓がいったい何のためにあるのか尋ねると、実は誰に聞いても理由がわからないのだという。蒸溜所にまつわる謎のひとつである。

ウォッシュバックは、全部で42,600Lのウォッシュを蓄えられる。発酵時間は約54時間だが、週末には110時間くらいに延びる。グレアムいわく「発酵時間の長短でスピリッツに大きな違いがあるとは認められていない」。古い発酵棟には、古いウォッシュバック11槽が残されている。当初はすべて廃棄する予定で、まず1槽をスクラップにした。だが廃棄はかえってコストがかかるとわかって、展示用に保存しようと決めたのである。

(つづく)

 

 

 

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