ベンリアック・ファミリーの一角を担うグレングラッサは、海岸に面した立地と類まれな硬水から生まれるユニークな風味のハイランドモルトだ。激動の歴史を振り返り、新しい未来を展望する2回シリーズ。

文:ガヴィン・スミス

 

蒸溜所名の意味は「灰色と緑の谷」。ウイスキーマガジンが、グレングラッサ蒸溜所を初めて訪ねたのは2008年のことだった。 1986年から休業状態にあった蒸溜所が、ロシア資本に支援されたスケアント・グループに買収されたばかりのときである。先陣に立っていたのは、ウィリアム・グラント&サンズの各蒸溜所長を務めたスチュアート・ニッカーソン。グレングラッサの復活を目指して進めていた再開業プロジェクトの最中に訪問したことを憶えている。

再開業プロジェクトは、なかなかショッキングな光景からスタートしていた。銅でできたマッシュタンの蓋は傷だらけで、一対のポットスチルは黒く汚れたまま。部品も各所から取り去られている有り様だった。貯蔵庫も打ち捨てられ、要するに愛情が注がれていないネグレクト状態。蒸溜所はマレー湾に面した砂浜のそばにあり、歴史ある港町ポートソイから西に2マイル離れた場所だ。そのため海鳥の糞も撒き散らされ放題になっていた。

あの夜、隣町カレンのシーフィールドホテルで、熟成のコンサルタントを任されていた故ジム・スワンがグレングラッサの将来の樽熟成について議論していた。ジムがグレングラッサのシングルモルトをいくつかグラスに注いでくれたが、その中には1960年代からずっと熟成されていた原酒もあった。地域としてはハイランドのスコッチシングルモルトに分類されるウイスキーだが、驚くほど個性豊かで素晴らしい出来栄えだったことを憶えている。スチュアート・ニッカーソンが取り組む蒸溜所の再興計画は、きっとうまくいくだろう。そんな期待を唐突に感じたのである。

その後の数カ月間、スチュアート・ニッカーソンのチームはやる気満々で当時のグレングラッサの状態を確認し、約100万英ポンドの資金が蒸溜所の改修に費やされた。そして2008年12月4日、ついに古いスチルから再びスピリッツが流れ出したのである。

 

何度も休業を強いられた波乱の歴史

 

22年間も休業していた蒸溜所の再開は、ちょっとした大事件のようにも思える。だがグレングラッサにとって、休業は慣れっこだった。

サンドエンド湾に蒸溜所が設立されたのは1875年のこと。グレングラッサ・カンパニーは地元の実業家であるジェームズ・モイアと銅器職人のトーマス・ウィルソンによって設立された会社である。

1957年に改修されて以来、ほとんど変わっていないという生産スタイル。スチルのは手動のスチームバルブで制御し、ベース部分は平べったい形状だ。

その後、蒸溜所は1892年にグラスゴーでウイスキーをブレンドするロバートソン&バクスター社に売却される。そして同じ年にビジネス仲間のハイランド・ディスティラリーズ・カンパニー社(後のハイランド・ディスティラーズ社)に15,000英ポンドで転売された。しばらく生産を続けていたが、スコットウイスキー業界が不況になったためハイランド・ディスティラリーズ社が1908年に蒸溜所を操業休止にしてしまう。その後、1931〜1932年と1933〜1936に復活したが、またしても24年間の休業期に入った。

1950年代になると、一転して主に米国からの需要が増したことからウイスキー業界にも光明が差し始める。ハイランド・ディスティラリーズ社は、1957年からグレングラッサ再建に向けた意欲的な事業に乗り出した。ビクトリア朝時代から続く工場の敷地で、もともとあったモルト倉庫と貯蔵庫だけを残して他の生産施設をすべて新築することに。こうしてウイスキーづくりが1960年に再開された。

その10年後、ハイランド・ディスティラリーズ社はパースにあるマシュー・グローグ&サンを買収して、ブレンデッドスコッチウイスキーのフェイマスグラウスを傘下に収めた。それ以降、同社の蒸溜所でつくるニューメイクスピリッツは、ほとんどがフェイマスグラウス用のブレンド原酒として使用されるようになった。

 

ブレンド用モルトとしての苦悩

 

フェイマスグラウスのキーモルトはスペイサイドのグレンロセスだったことから、ハイランド・ディスティラリーズのブレンダーたちは何とかして既存のフェイマスグラウスのレシピにグレングラッサの居場所を確保しようとした。というのも、グレングラッサは硬水で仕込んでいるためモルト原酒のスタイルが独特だ。同社はグレンロセスの仕込み水をわざわざタンクローリー車でグレングラッサまで運んだりして、ブレンドのなかでどんな違いをもたらすのかを調べたりもした。

マッシュタンの隣で話に聞き入るビジターたち。このマッシュタンは、銅泥棒の盗難を逃れた伝説の設備だ。

だが結局、ハイランド・ディスティラリーズがグレングラッサの閉鎖を決めた時に驚く者はほとんどいなかった。ちょうど1980年代にはウイスキーも不況に陥り、生産過剰が逼迫した問題となっていたのである。シングルモルトとしてボトリングされる見込みもないグレングラッサは、1986年から再び休業状態に入った。

スケアント・グループが買収に乗り出すまで、グレングラッサはすっかりスコットランドの「失われた蒸溜所」の仲間入りをしたものと思われていた。だがスケアント・グループは、蒸溜所の設備を改修しただけでなく、財政面での収支まで立て直してくれた。樽詰めしたニューメイクスピリッツを一般販売したり、若々しいスピリッツのまま飲めるように販売したり、閉鎖した1986年以前の原酒を商品化したりと知恵を絞ったのである。

2013年、スケアント・グループの成功に驚いたベンリアック・ディティラリー・カンパニーがグレングラッサのドアをノックする。買収によって傘下に収め、ベンリアック、グレンドロナックに続く第3のモルトウイスキー蒸溜所としてグループに加わったのである。その3年後、ベンリアック・ディティラリー・カンパニーはジャックダニエルで知られるブラウン・フォーマンの傘下に入った。
(つづく)