モルトの聖地と謳われたアイラ島が、新時代に向けて動き始めている。アメリカンウイスキーの専門家、ライザ・ワイスタックがアイラ島を訪ねる3回シリーズ。

文:ライザ・ワイスタック

 

アイラ島とジュラ島で発行される隔週の地方紙「イーラッハ(Ileach)」の紙面には、これから予定されている建築計画の告知、フェリーの最新情報、チャリティーイベントの紹介、何かの賞に輝いた地元の学生やビジネスリーダーたちの言葉、島の自然に関する特集などが掲載されている。そしてもちろん地域の定番ニュースといえば、ウイスキー蒸溜所関連の最新情報だ。

昨年の2021年8月28日号には、「スチルの写真集」が巻頭特集として組まれていた。アイラ島の住人にとって、スチル(蒸溜器)の写真はおなじみだ。アイラ島におけるウイスキーづくりの歴史を知る者にとって、銅製ポットスチルはアイラの象徴と言っていいだろう。

アイラ島でラムを蒸溜するベン・イングリス(左)とキャロライン・ジェームズ(右)。アイラのスピリッツ事情は大きく多様化している。

だがその号に掲載されていたのは、スコットランドで標準仕様とされるスチルではなかった。記事によると、写真を提供したのはベン・イングリス。ポートエレンのオールド・レモネード・ファクトリー内にあるアイラ・ラム・カンパニーで蒸溜所長を務めている人物だ。

そこに掲載されていたのは、カリビアン式のスチルである。つまりはラムの量産に適したタイプだ。イングリスは、毎年5月に開催される音楽とモルトウイスキーの主催「アイラ・フェスティバル(Feis Isle)」に向けて、まだつくり始めたばかりのホワイトラムとフレーバードラムを出品したいと願っている。

歴史ある偉大なモルトウイスキー蒸溜所が点在するアイラ島。その影に隠れながら、小規模なクラフトウイスキー蒸溜所も活発に活動を始めている。そんな動きに刺激を受け、伝統のある蒸溜所内でも斬新なウイスキーづくりの流れが到来している。

このようなルネッサンスの発端となったのは、ブルックラディのマスターディスティラーを長年にわたって務めたジム・マッキュワン(すでに引退)だとも言われている。マッキュワンは2011年に古いローモンド式スチルを改修して再稼働させ、「アグリー・べティ」という愛称まで付けた。

現在このスチルは、アイラ産のボタニカルをふんだんに使用したブルックラディのジン「ボタニスト」の蒸溜に使われている。プレミアムジン市場では屈指の売り上げを誇るアイラ産のジンだ。世界中でおびただしい種類のジンが生産されているなか、新参ながらこれだけの知名度を獲得できたのは、やはりアイラという土地のブランドによるところも少なくはないだろう。

ここ数年間の実績だけを見ても、インナーヘブリディーズ諸島にある小さなアイラ島の影響力と知名度はますます強大になっているようだ。古代の岩でできたアイラ島のサイズは、東西が25kmで南北が40kmほど。スコットランドの南西岸から、荒々しい大西洋に漕ぎ出してすぐの場所にある。ウイスキーの世界で確固たる地位を築いたアイラは、古い伝統を愛する人々はもちろん、未来志向の起業家たちも惹きつけてやまない。
 

コロナ禍を乗り越えて

 
スコッチウイスキー協会(SWA)が2022年2月に公表したデータによると、スコッチウイスキーの2021年の輸出総額は45億1000万英ポンド(約7000億円)にのぼった。前年(2020年)との比較で、19%もアップしている。ボトル(700ml)に換算した輸出量も、21%増加して約13億8000万本となった。地域別に見ると、南米やアジア太平洋地域の諸国で大きく消費が伸びている。

ブナハーブンが建設中のバイオマスセンター。親会社のディステルが650万英ポンド(約10億円)を投じ、アイラ島初のネットゼロ蒸溜所を目指している。

これらの数値は、まだコロナ禍以前の水準までに回復していない。それでもスコッチウイスキーの世界的な潜在需要が、ロックダウンや海外渡航の制限などによって減少したわけではないことを物語っている。しかしながら、 SWAのマーク・ケント事務総長は、まだ安心できる状況ではないと気を引き締めているところだ。

アイラ島のスピリッツメーカーたちは、ブランドのネームバリューに胡座をかいて休んだりすることがない。世界が再び正常化に向けて動き始めた今、かつての勢いを取り戻すために拍車をかけている。スモーキーなウイスキーの大ファンたちが島に戻ってくるのを見通して、各蒸溜所では受け入れ準備に抜かりがない。

2019年以来のリアル開催となるアイラ・フェスティバルにあわせ、ホテルなどの宿泊施設はかなり早期から予約でいっぱいになった。各メーカーがコロナ禍で多数のバーチャルイベント開催に力を入れてきたことから、新しいウイスキーファンも増えたという報告がある。そのような新しいファン層が、憧れの地アイラへ訪れようと準備を進めていてもまったく驚きはない。

そんなアイラとて、コロナ禍が観光業に与えた大打撃と無縁ではなかった。新型コロナウイルスが流行し始めてすぐ、島と本土をつなぐフェリーの便数は減らされ、島に到着する物品も制限された。その影響は甚大であったと容易に想像できる。各蒸溜所で予定されていた建築工事は、すべて休止状態になった。

だがわずか3,000人ちょっとの住民たちは、近所同士で手を取り合いながら最悪の2年間を乗り切った。蒸溜所がたくさんあるので、もちろんアルコール消毒のハンドサニタイザーは不足することがない。それに加えて、若い世代への職業訓練や島民のメンタルヘルスなどを支援する慈善活動がポストコロナの生活に組み入れられてきた。このような活動が、コロナ禍の辛い状況に耐える原動力にもなったのである。
(つづく)