木樽を意味する「tun」と重さの「ton」は同じ語源だ。ウイスキー業界で使われている用語を深堀りすると、さまざまな技術の歴史や変遷が明らかになってくる。

文:クリス・ミドルトン

 

スピリッツを表すラテン語の「アクアヴィータ(aqua vitae)」とゲール語の「ウイスケベーハー(uisge beatha)」はどちらも「生命の水」という意味で、同じ言葉を語源としている。同様に、木樽を指す「tun」や「ton」といった言葉も、綴りが少し異なるだけで語源は同じである。

「トン(ton)」は、1199年にジョン王が制定した「tonellum vini(ワイン樽法)」という法令に初めて登場し、ワイン1樽あたりの価格を設定している。1423年には「トン(tun)」が正式に252ガロン(旧ガロン)となり、2,240標準ポンド(アングロ・ノルマン語で「重量のある商品」の意)の基準とされた。この「トン(tun)」は、古くは1,016kgの「トン(ton)」に相当し、現代のメートル法で定義する1,000kgにつながっている。

海運の世界標準指標として使われている「トン数」は、もともとワイン1樽分にかかる関税を定めるための単位だった。これが1718年には船の積載量(積荷の体積)を表すようになり、貿易の経済史を記述する単位にも援用されているのである。

1751年にドイツで製造されたハイデルベルクタン(Heidelberg tun)と呼ばれる木樽は、221,726リットルのワインを収容できる。そのため他の国では「非常に大きな樽」を指す言葉として使われていた。英国のウィスキー蒸溜所は、ビール醸造所の設備から「マッシュタン(mash tun )」と呼ばれる糖化槽を導入する。中世に各地のビール醸造所が生産規模を拡大した後、穀物をすりつぶすための大きな桶を「マッシュタン(mash tun)」と呼ぶようになっていた。
 

混乱しそうな世界の度量衡と現代のウイスキー樽

 
アメリカ大陸の植民地では、英国の度量衡が踏襲されていた。それでも植民地ごとの慣習や、在来種のトウモロコシの取引など、その土地特有の事情を反映した結果、国内でも度量衡に違いが生じた。アメリカ独立後の1824年6月、英国は新しいインペリアル法に移行する。しかしアメリカはそれまでのアン女王法を維持し、それが現在にまで至っている。

18世紀後半のアメリカでは、奥地の悪路や河川で荷役が木樽を積み込みやすくするため、やや小さなサイズの木樽が使われるようになった。これが「バレル」と呼ばれるアメリカのウイスキー樽であり、平均的な容量は32ガロンのエール樽から42ガロンのウイスキー樽までバリエーションがあった。

職人の手仕事によって、現在も受け継がれている木樽の製造。さまざまな素材の容器がある現在にあっても、ワインやウイスキーの香味には欠かせない存在だ。

1857年にペンシルベニア州で石油が採掘された後、石油は42ガロンのバレル(英国ではティアス)で輸送された。このときのバレルが、地元のウィスキー産業で使用される木樽の標準容量となる。しかしこの容器自体は石油の輸送には効率が悪く、1870年代後半には石油業界で廃れてしまう。それでも42ガロンを1バレルとするアメリカ基準の単位は、現在も石油業界で世界標準の尺度として通用している。

19 世紀後半に流通していたアメリカのバレルは、平均46ガロンの容量である。これはラック式を中心とした新しい倉庫システム、輸送手段、貿易取引、ウイスキーの熟成戦略などに対応したサイズであった。アメリカには木樽の容量に関する法的な規制がなかったため、樽工房が採用した形状と単価を各蒸溜所が受け入れる形で普及した。禁酒法時代以降も、木樽1本は42〜48ガロンというサイズで推移している。

アメリカ政府の州際通商委員会は、第2次世界大戦中の1943年6月に、標準的な木樽の容量を50USガロンと定めた。これは樽製造の効率化を目指した規定で、樽材の長さを34インチに設定することで規格の統一を図っている。

その後、各蒸溜所がウイスキーの熟成に使いやすい形状を模索し、樽工房はヘッド直下に最大3ガロン分のスペースを確保するように木樽を改良した。ちなみに連邦法によるウイスキーの定義には「オーク材の容器」に貯蔵されると記述されているだけ。つまり容器が木樽である必要はなく、容量の最小値や最大値も規定されていない。
 

スコッチに欠かせないアメリカ樽

 
最初のバーボンの熟成に使用された古樽(バーボン樽)の樽材が、初めてスコットランドに出荷されたのは1944年5月のことである。出荷元はブルックリンにあるマスロー氏の樽工房だった。それから20年の間に、100万本以上の樽材がスコットランドに到着した。

木樽の材質やサイズによって、熟成による香味を調整する。ウイスキーの味わいの背後は、古くケルト民族から受け継がれた長い樽造りの歴史がある。

現在もスコッチウイスキーの熟成に使用されるファーストフィルの樽は、全体の96%がアメリカから輸入するバーボン樽の樽材である。その多くは、樽材を増やしてスコットランド式のホグスヘッドに再加工されている。スコッチウイスキーは大麦モルトを原料にしており、コーン主体のバーボンよりもニューメイクの酒質がソフトだ。さらにはスコットランドの冷涼な熟成条件も細かく考慮すると、サイズが大きいホグスヘッドのほうがアメリカのバレルよりゆったりと熟成できるからである。

世界中の貯蔵庫では、現在約6,000万本のオーク樽が保管されている。樽の中では、未来のウイスキーが熟成中だ。あらゆる樹種の中で、オーク材はウイスキーに最も望ましい香味を加える理想的な木材として評価を確立している。リンネ式植物分類法によると、オークの正式名は「クァーカス(Quercus)」である。

ケルト民族は高貴なオークの木を尊び、語源である「ダル(daru)」または「ペルク(perq)」と呼んでいた。ビールを飲んでいたケルト民族の子孫が、初めてビールを蒸溜してウィスキーをつくったのは13世紀のこと。その後、ブリテン諸島のアングロケルト民族やゲール民族の子孫たちもウイスキーづくりを始めた。

木樽を発明してウイスキー蒸溜を始めたケルト民族の文化は、現代のウイスキーにまつわるさまざまな用語や香味に深く刻み込まれている。