世界のウイスキー史を遡ると、古くから木樽を重用していたケルト文化にたどり着く。機能的で不思議な木製容器を基軸に、世界史を俯瞰する3回シリーズ。

文:クリス・ミドルトン

 

木樽製造の歴史を遡ると、古代ヨーロッパ北西部の森林地帯にたどり着く。そこには3,000年以上前から、ケルト民族たちが暮らしていた。当時の史実には謎も多いが、それでもヨーロッパの森林が樽という木製容器を造る原料となったことは間違いない。

木樽は精巧で便利な容器だ。オーク材などから切り出した樽板を、枝などで作ったタガでしっかりと固定させて造る。ケルト民族はビールやミードなどの酒を愛飲していたが、そのような液体を漏らさず保管するために技巧を尽くして造られた。ケルト語でビールを意味する「cervesia」や「bior」は、形を変えて今でも世界中に普及している。

ヨーロッパを中心に広がった樽造りの文化は、アルコール飲料の歴史と不可分の関係にあった。人類の歴史において、たびたび過剰なまでの酩酊状態を生み出してきたのも木樽の仕業である。ローマ人たちの神話には、ワインと酩酊をつかさどるバッカスがいる。

それに対してケルト民族たちは、森とビールの神であるセセロスを崇めた。セセロスという神は、いつも木槌と小樽を携えている。ユリウス・カエサルがヨーロッパを征服すると、ワイン、オイル、ガラムの貿易が盛んになった。そして実用的な木樽の技法が見いだされ、新世界への探検や世界貿易を後押ししていくのである。
 

陶器よりも便利だった木樽の普及

 
スチールドラムや成型プラスチックが20世紀に登場するまで、木樽は人類にとって最も堅牢で多様性に富んだ容器のひとつだった。持続可能な天然資源から造られ、耐久性にも優れており、保管や輸送を容易にしてくれる。液体の入った木樽は重くなるがが、倉庫への出し入れは樽の縁を転がすようにして運べばいい。一人でも最小限の摩擦と労力で移動できる形状なのだ。

ローマにあるトラヤヌス帝の記念柱に刻まれた木樽の絵。建設時の113年には現在とほぼ同じ構造の木樽が流通していた。

そしてワインやスピリッツの香味を熟成させるのに、オーク材の容器に勝るものはない。オーク樽なくして、現代のウイスキーは生まれなかった。かつて西ヨーロッパに住んでいたケルト民族は、ゲール人(ガリア人)と呼ばれ、白樺、イチイ、ハンノキ、トネリコ、モミ、オークなどの木材から容器を造っていた。樽材を縛って固定するタガには、柳やヘーゼルの枝の輪が使われた。

当時の世界には、木樽以外の容器もあった。古代のシュメール(メソポタミア)では、ナツメヤシの幹をくりぬいてビールやワインを貯蔵していた。ヘロドトスの記述によると、紀元前500年にはアルメニア人がワインを入れたヤシの幹をユーフラテス川とチグリス川に流していたとある。木樽が本格的に登場する以前は、液体製品を運ぶ道具として土器のアンフォラが好まれていた。

ローマ人が初めて樽に出会った頃、標準的なアンフォラは「ドレッセル1型」と呼ばれていた。容量約26リットル、重さ約50kgのアンフォラは、ポーターが船や荷馬車に積み込みやすい実用的な容器だった。それでも紀元後300年になると、アンフォラより持ち運びやすく、容積効率に優れ、耐久性も兼ね添えた木樽がアンフォラの代わりに重用され始める。この木樽には、ワインの風味を良くしてくれるという副次的な効果もあった。
 

さまざまな呼称

 
その後の何百年もの間、典型的な容量の大樽は各国で「tun」と呼び習わされていた。この「tun」の語源は、ケルトの言葉で皮や表面を意味する「tonda」から来ている。もともとケルト民族は、動物の皮で造った袋に液体を貯蔵する伝統があった。木樽を発明する際にも、木材を皮のように見立てて頑丈な容器に仕上げたのである。

 ローマ時代の木版画を見ると、さまざまな用途で木樽が日常的に使用されている。

やがて8世紀になると、「tonda」はラテン語で「tunna」と呼ばれ、後に「tun」と略されるようになった。ローマ人はこのガリア人の木製の容器を「cupa」とも呼んでおり、これが英語の「cooper」(樽職人)の語源となっている。

木樽の呼称としては、他に「dolcum」や「butis」があり、これが後に英語で「butt」(バット)と略されるようになる。その他にも「tunue」(サクソン語)、「tonnel」(古フランス語)、「tunno」(ドイツ語)など、樽を表す方言は多数流通している。

英語で木樽を総称する「cask」(カスク)という言葉は、16世紀のフランスとスペインで生まれた比較的新しい言葉だ。これは18世紀に円錐形の兜を意味する「casque」から英語化され、「殻」や「保護容器」の意味で使われるようになった。英連邦諸国では、この「cask」という言葉で木製の密閉容器を総称している。

その一方で、スコットランドでは1707年の統一後もケルト語の「baril」が通用していた。これがフランス語の「baraill」や英語の「barrel」に転じ、木樽の総称としても使われるようになった。この「バレル系」の表現は、新大陸アメリカにも持ち込まれる。植民地時代のアメリカでは、木樽を表す語彙として「barrel」(バレル)が組み込まれた。

フランスでは、1665年の時点で「barrique」(バリック)が容量250リットルに相当し、今日のバリックもコニャックで300リットル、ブルゴーニュで228リットル、ボルドーで225リットルと定義されている。これはアメリカにおけるバレル(200リットルの標準樽)とほぼ同量である。
(つづく)