飲んで味わうためにつくられたウイスキーが、なぜ未開封のまま博物館に入るのか。心理学や人類学も論じながらウイスキーコレクションの魅力を解明する。

文:ハンス・オフリンガ

 

前回は人間が物を収集したくなる原因を生物学や脳科学の観点から検証した。さらに別の視点から見てみると、コレクションを始める行動には私たちのアイデンティティやエゴも深く関わっている。究極的には、不死への憧れにも通じるような遺産への欲望だ。

ウイスキーのコレクターでもある心理学者のディクステルホイス教授。コレクションは無意識に始まって進行すると説明する。著書の『ワインファンの奇妙な心理学

人類という種族は、この点において地球上でもユニークな存在である。収集という行為は、明らかに私たちを幸せな気分にしてくれる。そして興味深いのは、資本主義の切迫的な消費加熱によって生まれた行動ではなく、それよりはるかに長い何千年にも及ぶ歴史がある行動だということだ。

決まった住処がない古代人は、食べ物、安全な場所、水などを見つける必要に迫られて地球上をさまよい歩いた。遊牧狩猟民にはすでに物を収集する習慣があり、猛獣の葉を集めてネックレスやブレスレットにしていた。それよりも大きな物を蓄積できるようになったのは、人類がひとつの場所に定住するようになってからだ。

定住によって、さまざまな物を保有しようという衝動が生まれた。『心理学入門(Rough Guide to Psychology)』を著した心理学者のクリスチャン・ジャレットは、「授かり効果」についてガーディアン紙に短いコラムを寄せている。授かり効果とは、一度手に入れた物に高い価値を感じてしまう心理的な傾向を指す。この効果には、強迫的な溜め込み行動より健康的な姿勢も含まれているとみられる。

 

コレクションとは物語の所有と共有

 

すべてのコレクターに共通するのは、みなある種の対象物を手に入れることに情熱を燃やし、この対象物とたくさん出会うたびに物語を創作しはじめることだ。その物語とは、極めて私的な物語である、集めた物たちがコレクターに語りかけるタイプの物語である。

エディンバラの「スコッチウイスキー・エクスペリエンス」で人々を驚嘆させるクライベ・ビディスのコレクション。友人が持参したささやかなお土産から、壮大な収集の人生が始まった。

だがこの個人的な物語も、博物館のようなスケールにまでなれば、個人を飛び越えたはるかに大きな物語にもなる。現存する多くの博物館も、最初は個人的な収集からスタートした。例えばパリにある有名なルーブル美術館は、15世紀にフランスの王族たちがあらゆる種類の美術品を収集したことでコレクションの土台が築かれた。当時の彼らの主な目的といえば、みずからの富と権力を客人たちに印象づけることだった。

2006年にノーベル文学賞を受賞したトルコ人作家のオルハン・パムは、あるウェブサイト(bigthink.com)のインタビューで、収集にまつわる面白い心理学的見解をいくつか披露している。パムによると、個人のコレクションは、そのコレクターの私的な欲望しか映していない。それに比べて、博物館や美術館のコレクションは、収集物たちが歴史を超越した正当性を主張しているように見える。パムの小説『無垢の博物館』では、そのような思考をより深めたストーリーが展開されている。

ヴァレンティノ・ザガッティのウイスキーコレクションの前にも、博物館レベルまでに引き上げられたウイスキーコレクションはもちろんある。2009年には「ディアジオ・クライベ・ビディス・コレクション」が、エディンバラの「スコッチウイスキー・エクスペリエンス」のツアーのクライマックスを飾る名所として完成した。近代以降のウイスキー氏を幅広く提示した330本以上のスコッチウイスキーのボトルが並び、年間約30万人もの訪問者を集めている(新型コロナウイルス流行前)。

 

ウイスキーコレクションができるまで

 

ブラジルウイスキーコレクター協会創設者のクライベ・ビディスは、1970年代にウイスキーの収集を始めた。それ以来、35年にわたってあらゆる酒類のボトルを探し求めてきた。希少なもの、風変わりなもの、当時はありふれた定番品だった歴史の語り部が網羅されている。

ウイスキーマガジンがおこなった2017年のインタビューで、ビディスは自身のコレクションが有機的に成長していった過程を説明している。ビディスのコレクションは、ブラジルへ飛行機でやってくる友達や同僚に、免税店でウイスキーを選んで買ってきてくれるように頼んだのが始まりだった。当時はブラジル国内で入手できるウイスキーの種類が限られていたので、自宅のバー用にバラエティ豊富なストックが欲しかったのだ。

スコッチウイスキー・エクスペリエンスのツアーでフィナーレを飾るのは、2009年にディアジオが公開したクライベ・ビディスのコレクション(メイン写真も)。330本以上のボトルにはそれぞれの物語がある。

あるとき、スコットランド人の友達が6本の「特別」なボトルをプレゼントしてくれたことが運命を変えたのだという。

「その6本のボトルを受け取って、開封しないでバーにずっと置いておきました。でもそれがきっかけで、『この隣にはジョニーウォーカーを置いたらいいかも』とか『あっちの隣にはブキャナンズが相応しいな』などと考えはじめたのです。そうやってコレクションがどんどんふくらんで、現在のような規模になりました。自分としては『コレクションに加えるべきボトル』といった条件は特になく、コレクションはごく自然な形でどんどん成長していきました。最初の6本に1本足して、また1本足して、という感じです。コレクションが増えるほど、スコッチウイスキーに関する興味が高まって、その興味がなくなることは一度もなかったのです」

オランダの心理学者であるA・J・ディクステルホイス教授は、自他共に認めるワインとウイスキーの熱心なコレクターだ。著書の『ワインファンの奇妙な心理学(The Curious Psychology of a Wine Drinker)』で、ほとんどのワイン収集家が、無意識でコレクションを始めている事実について解説している。同じことはウイスキーファンにも起こる。著書の言葉を借りてみよう。

「多かれ少なかれ、コレクションを始める人は、自分では意図せずコレクションに発展する方向性を選んでいる。そのプロセスは偶然に発生し、無意識のまま進行していく。友達からもらった珍しいワインのボトルに、『これは何らかのシリーズの一部かもしれない』という定義を授けた瞬間、そこに大きな問題が発生するのだ。収集に向かう行動が強迫的になっていくと『オニオマニア』と呼ばれる買い物依存症にまで発展する」

ヴァレンティノ・ザガッティがウイスキーのボトルを収集しはじめたとき、このような心理学的法則が頭に浮かんだりはしなかったであろう。ザガッティはただ新しいウイスキーと出会うたびに心が踊り、純粋に個人の楽しみとしてあれだけのボトルを集めて保管したのである。

自分で意識していたかどうかに関わらず、そのプロセスの結末としてザガッティのユニークなウイスキーの物語が保存されて歴史を語るようになった。そしてスコッチウイスキー・インターナショナルがザガッティ・コレクションを購入したとき、コレクションは初めてザガッティの私的な領域から抜け出し、博物館という新しい領域にまで高められた。

ザガッティが自問自答していた物語は、かつてよりもはるかに大勢の観客に向かって語られるようになった。そしてザガッティ自身には、そのコレクションの内容に相応しい不朽の名声が与えられたのである。