ハシゴを倒せ
安いブレンデッドでウイスキーと出会い、スモーキーなシングルモルトへと好みが進化する。そんな消費者の「ハシゴ理論」は本当に正しいのか。ウイスキー関係者が陥りがちなエリート主義を、デイヴがバッサリと斬り捨てる。
文:デイヴ・ブルーム
ブリスベンのバー「コブラー」で、ハシゴに登りながらバーカウンターの棚を眺めている。「ジム・マッキュワンもそうやって登っていたよ」と店の連中は言う。ジムの足腰が弱いのを知っている私は、自分にも登れると自信が湧いたが、ジムに敬意を表しててっぺんまで行くのはやめにした。
オーストラリアのバーで、図書館用のハシゴが必要になるのも不思議なことではない。この国には豊富なウイスキーの在庫があり、棚の奥底に隠れた目当ての1本にたどり着くにはハシゴでどこまでも登るしかないのだ。
オーストラリアは、スコッチウイスキーの重要な輸出先だった。19世紀末に活発な輸出が始まったとき、スコッチウイスキーの大半が船でアメリカに渡ったというのは思い込みに過ぎない。第2次世界大戦が勃発するまで、スコッチウイスキーの最重要輸出市場はオーストラリアだった。オーストラリアがスコッチウイスキーの産業を育てたとさえいえるのである。
だが近年は、スコッチもオーストラリア市場で苦戦を強いられていた。バーボンのRTD(缶入りソーダ飲料)が市場を席巻していたのである。多くのスコッチブランドが業務を縮小し、見込みのある他国の市場へと目先を変えていた。
そんな状況もまた、再び変わっている。仕事帰りの1杯が、ワインやジントニックではなく搾りたてのアップルジュースを加えたハイボールになった。夜更けにもウイスキーが飲まれ、各都市のウイスキーバーやカクテルバーには素晴らしいウイスキーのセレクションがある。
メルボルンの「キルバーン」。ブリスベンの「コブラー」や「グレシャム」。シドニーの「バクスター」。どこも多くの学びが得られるウイスキーバーだ。品質にこだわる男女がスコッチを受け入れ始め、ウイスキーはスピリッツの最貧民からスターへの返り咲きを果たした。
消費者はハシゴを登らない
ハシゴを登りながら、別のことも考えていた。いわゆる「ハシゴ理論」の真偽についてである。ウイスキーの低迷期には、市場開拓のたとえにこの比喩が用いられた。ウイスキーの新しい消費者層は安価なブレンデッドウイスキーでウイスキーの味を知り、徐々に品質も金額も格上の商品へとステップアップしていくというものだ(当時のブレンドは12年ものが最高だった)。
やがてシングルモルトがもてはやされると、また新しいハシゴが立てられた。既存のハシゴの上に追加されるのではなく、横にずらして設置されたハシゴだ。シングルモルトの初心者は、ブレンデッドのハシゴのてっぺんからジャンプして、モルトのハシゴの一番下にぶら下がる。そこから再びセオリー通りに再び登り始めるというイメージである。
このハシゴは値段ではなく風味(すなわち生産地)に上下があるとされた。一番下は軽やかな風味で、一番上はスモーキーな風味。高所恐怖症をものともしない者だけが高みまで昇っていける。当時は、たいていの人が低い地点からの眺めで満足するだろうと思われていた。まだブレンデッドのハシゴにいる臆病な人々を見下ろし、優越感にひたるだろうという予測だ。
今ならはっきりとわかる。このハシゴ理論は、スコッチの学習法としては最悪のモデルだ。ブレンデッドがモルトよりも劣り、ブレンドの中にも価格や熟成年による品質のヒエラルキーがあるという原則はエリート主義である。ここに不和や誤解の種が散りばめられていたのだ。
もちろん現実は異なっている。ウイスキーのハシゴはエッシャーのだまし絵のような階段だ。複雑に入り組んでいて、上下の概念がない。入り口もひとつではなく、モルトの風味にも難易度の別はない。ブレンドもモルトに劣るわけではなく、モルトにはない多機能性がある。そんな視点で見れば、スタンダードなブレンデッドもハシゴの最下層にあるわけでもない。その機能、役割、機会が単にモルトと異なるだけである。
ブレンデッドに注目することが、スコッチウイスキーの助けになる。ブレンドの価値を説明し続ければ、新世代のバーテンダーたちもその重要度を理解してくれるだろう。スコッチはハシゴから降りて、ファンのニーズとしっかり向き合わなければならない。