スピリッツ蒸溜の歴史(4)近代ウイスキーの誕生
文:クリス・ミドルトン
ウイスキー蒸溜の歴史において、空前絶後の変化が起こった時期は1785〜1840年である。技術革新が相次いだ黄金の半世紀に、近代以降のウイスキー業界が踏襲している主な特徴がすべて形作られたといってもいいだろう。
ウイスキー業界の周辺でも、ウイスキーづくりに直接的な影響を及ぼす革命的な進化が起こっていた。例えば農業の分野では、穀物の品種交配を含む新しい農業経営の流れが生まれている。1ブッシェル(容量35L相当)あたりの生産コストは大きく下落し、生産量が一気に増えたことでウイスキーの値段もかなりお手頃なものになっていった。1750年に1軒の蒸溜所で生産するウイスキーは1日1〜1.5ガロン(約4.5〜6.8L)だったが、それが1790年までに2ガロン(約9L)となり、1800年には3ガロン(約13.5L)、1820年代には3〜4ガロン(約13.5〜18L)と増加している。
穀物の品種や酵母株も改良され、成分抽出技術も進んだ。そのおかげで、蒸溜所も品質の向上したスピリッツをたくさん樽入れできるようになった。政府の働きかけや規制によって、ウイスキーの熟成も奨励されるようになった。最初は数ヶ月だった熟成期間が数年単位へと伸びていった。
また科学技術の進歩によって、計測や調節に役立つ新型機器が登場し、その性能も徐々に改良された。鋳型を使ったガラス容器の多量生産が可能になり、石版技術を応用したラベル印刷も登場。ブランドのマーケティングや消費者へのアピールも盛んになった。このようにさまざまな仕組みが同時期に発達することで、華々しいウイスキー時代が幕を開けるのである。
産業革命によるエネルギーの効率化
1780年代は新型の蒸溜機器が造られ始め、英国、フランス、アメリカで大きな技術革新が見られた時代だった。その後の40年間は、何千人もの発明家たちがさまざまな改良を機器に加えていった。このような新しいアイデアや工夫は、工場で採用されて特許化の対象になる。特許ブームはすぐに蒸溜酒づくりが盛んな主要都市でも広がり、現地の事情にあわせて改良されながら受け入れられていった。
スピリッツ生産国の発酵技術や蒸溜技術は、扱う原料の特性によってそれぞれ変わってくる。蒸溜装置にさまざまな設計上の違いが見られるのはそのせいだ。蒸溜酒の原料はブドウ、穀物、サトウキビ、ジャガイモ、テンサイなどと多岐にわたるため、各原料にあわせた機能や使い方が蒸溜機器の設計にも応用されるのである。
そんな中で大きな変化をもたらしたのは、蒸気の力を利用した設計の進歩である。1772年、アイルランド系移民のクリストファー・コールズが、フィラデルフィア蒸溜所で水を汲み上げるためにニューコメン式の蒸気機関を建設した。その12年後には、ダニエル・レーサムがフィラデルフィアに保有するライスピリッツの蒸溜所で蒸気ポンプ機関を導入している。
英国では、1776年4月にジョン・クックがロンドンに保有するモルトスピリッツの蒸溜所でボールトン式の蒸気機関を導入。スコットランドでは、ジョン・スティーンのケネットパンズ蒸溜所が穀物を挽くためにワット式の蒸気機関を1787年に導入した。
蒸気による蒸溜が始まった原点は、英国でスチーム蒸溜の特許が認められた1785年7月である。特許を取得したのは、アメリカ独立戦争で王党派について10年前から英国に移民していたアメリカ人のベンジャミン・トンプソン(ランフォード伯)。1802年、ロンドンの銅器製造人チャールズ・ワイアットは、蒸溜器のベース内部に加熱管を加えることで、その後に開発されるスチームコイルの先駆けを提示した。
このような新しい発明も、他の周辺技術が追いつかなければ実際の導入までに時間がかかることがある。スコットランドでスチームコイルが採用されたのも、1887年になってからのことだった。グレンモーレンジィ蒸溜所がチェルシー蒸溜所からジン用の蒸溜器を譲り受け、それを設置する際に初めてスチームコイルを導入したのである。
(つづく)