極限環境でのウイスキーづくり【後半/全2回】
極光が輝くノルウェーの北極圏から、世界でもっとも南極に近い蒸溜所へ。そして世界最低の標高で知られるイスラエルの死海へとテロワールの冒険は続く。
文:ティス・クラバースティン
前回紹介したオーロラ・スピリット蒸溜所から、地球儀をひっくり返して反対側を見てみる。そこにあるのは、ニュージーランド南島のカードローナ蒸溜所。地球上で最南端に位置する蒸溜所だ。
カードローナ蒸溜所は、クラウン山脈を見上げるカードローナ渓谷の中にある。標高は600メートルとかなり高い。冬の間は、近くにあるワナカ湖の上にできた雲がここに集まってくる。風が海に吹き抜る前に、一時停滞するような地形なのだ。だが谷の標高が高いため、ここに霧が立ち込めることはない。そのためカードローナの冬は晴天が多く、空気はいつもすっきりと澄んでいる。山岳地帯としては珍しく乾燥した気候であり、年間降水量はわずか400ミリほどだ。カードローナ蒸溜所のヘッドディスティラー、サラ・エルソムは語る。
「湿気はほとんど無いに等しいのが、この土地の特徴です。そしてこの乾燥が、いろいろな問題を引き起こすんです」
例えば空樽を蒸溜所内でそのまま放置しておくと、すぐに内部まで乾燥してしまうリスクがある。特に夏は気温が40˚Cにもなるので用心が欠かせない。カードローナ蒸溜所ではこのような樽の乾燥を防ぐため、樽が届くと即座に10~15リッターのニューメイクスピリッツを入れている。この独自工程は、正規のスピリッツを入れる前の「プレフィル」と呼ばれている。
カードローナ蒸溜所が創設されたとき、ウイスキーをつくり始めて10年間は販売せず熟成に専念するという計画だった。だが実際に樽内で起こるスピリッツの変化を見て、この計画は変更されることになる。デイヴ・ブルームやチャールズ・マクリーンといった著名なウイスキー評論家や、親会社アデルフィのアレックス・ブルースが、熱烈な感想と意見を送ってきたのだとサラ・エルソムは語る。
「10年以上熟成したシングルモルトという当初の計画はやめました。熟成状態の進捗をファンに報告しながら、マイルストーンの到達を祝うような販売計画が妥当だと理解したのです」
カードローナは極端に寒暖の差が激しい。急激な気温の変化は、予想をはるかに上回る熟成スピードの要因となっている。昼夜の温度差は30˚Cにも及ぶことがあり、年間の季節による気温変動はさらに大きい。激しい気温の変化だけではなく、湿度の低さも輪をかけて熟成サイクルを加速する。年間に失われるスピリッツの体積(いわゆる天使の分け前)は2.9%ほど。スコットランドにおける天使の分け前は約2%なので、それよりもやや蒸発が早いということになる。しかし湿度が極端に低いため、蒸発で失われるのは水分が中心だ。
カードローナ蒸溜所では樽入れ時のアルコール度数が66%だが、数年間の熟成で1.5%以上も度数が増える樽さえあるのだという。このような複数の要因によって、カードローナのウイスキーは予想を上回るスピードで熟成されるのだとサラ・エルソムは説明する。
「そして、いつも予想よりかなり早くスピリッツに色がついてきます。特に私たちのようにピノノワール樽を使っていると、その色の深まりは顕著なんです。でも熟成が早まるからといって、ことさらに甘みやオークっぽさが強まって安っぽくなるわけでもありません。スピリッツとの相互作用によって、香味の中心からメロウになります。この先もかなり期待できそうだと感じるような変化なんです」
世界一低い場所にある蒸溜所
カードローナとオーロラ・スピリットは、地球の両端で与えられた困難に対応しながら、そこからユニークなメリットを見出した事例だと言えよう。それとは異なった「極端な自然環境」をわざわざ志向した蒸溜所がイスラエルにある。
M&H蒸留所が所在するテルアビブは、気温も湿度も高い。だが2013年に蒸溜所が設立されて以来、イスラエル国内の別の場所でウイスキーを熟成しようと計画してきた。つまりテルアビブとはまた異なった気候の地域である。このアイデアを最初に提案したのは、かのジム・スワン博士であったとM&H蒸留所ヘッドディスティラーのトーメル・ゴーレンは明かす。
「ジム・スワン博士は、イスラエルという国がウイスキーづくりの実験にぴったりの場所だと思ったのでしょう。そんな彼のアイデアをレガシーとして、私たちは試行錯誤を続けています」
現在もイスラエル国内のガリラヤ湖、エルサレム周辺の山地、ネゲブ砂漠で熟成実験が進行中だ。いずれもまだ熟成段階としては初期である。だが、昨年、蒸溜所が最初に取り組んだ実験的ウイスキーとして、M&H初めての商品である「デッドシー」が発売された。名前から推察できるように、死海のそばで熟成されたウイスキーである。厳密にいうと、熟成期間のすべてを死海のほとりで過ごした訳でもない。実のところ、あんな場所でフルタイムの熟成などできないのだ。死海のそばでは、天使の分け前が年間25%にも及んでしまうとトーメル・ゴーレンは明かす。
「膨大な天使の分け前だけでなく、あそこで長期間熟成すると、スピリッツがシロップや樹液ジュースみたいになってしまうんです。個人的には、もうウイスキーと呼べないような味わいですね。だから死海のほとりで熟成するのはせいぜい1年間か、場合によってはもう少し。その後はテルアビブに送り返して、残りの熟成期間を過ごします」
死海のほとりの環境をそのまま活かすため、M&H蒸留所は地元ホテルの屋上で樽を貯蔵できる契約まで結び、現在も30本の樽が熟成中だ。通称「死海貯蔵庫」と呼ばれているが、貯蔵庫というのは言いすぎだろう。少なくともこの「死海貯蔵庫」は、従来のウイスキー貯蔵庫と同様の概念には当てはまらない。建物というより、檻のように環境にむき出しの造りなのだ。せっかく極限の熟成環境がそこにあるのだから、樽を雨風にも打たせてとことん影響を受けるように設計しているのである。
死海の周辺では、気温が48˚Cくらいまで上がることがある。その一方で、湿度はほとんど40%を超えることがない。夏季は平均23%まで落ちて極端に乾燥する。だが死海のユニークさは、なんといってもその高度だ。そこは地球上でもっとも低い場所にある陸地。海抜マイナス423メートルである。
「海抜の低さのせいで、樽内の気圧も上がります。樽内は密閉されていて、いつも温かい。すでに高い周囲の気圧よりも、樽内の気圧はさらに高いのです。この高い気圧によって、樽内の液体が樽材に強く押し付けられるというわけです」
死海といえば、海より10倍も濃い塩分濃度でも知られている。そんな湖のそばで熟成したら、塩気がウイスキーの熟成に影響するのではないか。そう思いきや、トーメル・ゴーレンは力を込めて否定した。
「塩気を感じるという人も実際にはいますが、これは心理的な効果だと思っています。ウイスキーの成分を調べても、そこに塩の成分は入っていません。研究施設でちゃんと調べたらから、これは科学的な事実ですよ」
死海で熟成する樽は、ファーストフィルかセカンドフィルのバーボン樽がほとんどだ。ゴーレンの発見によると、STR樽(再生樽)もよく環境に反応してくれる。だがワイン樽は失敗だった。あまりにも極端な香味のウイスキーに仕上がるのだという。
「そもそも私がウイスキーで打ち出したいのは、バランスの良い香味なんです。ある特定の香味が過剰になるのは望んでいません。みなさんによく誤解されますが、死海の暑さを過剰に表現したウイスキーづくりが目標ではありません」
そう語りながらも、ゴーレンは引き続き死海での熟成には力を入れており、イスラエル国内のさまざまな場所で面白い気候を熟成に活かそうとしている。世界中で、極限の環境を活かしながら独自のウイスキーづくりを志す人たち。それぞれどんなシングルモルトの香味が育つのか、これから時間をかけて楽しみに待つとしよう。