スコッチウイスキーを代表するインディペンデントボトラーとして、高く評価されているゴードン&マクファイル。創業125年の節目に、長い歴史と将来への展望を紹介する2回シリーズ。

文:ガヴィン・スミス

 

ゴードン&マクファイルが、シングルモルトのスコッチウイスキーを発明した訳ではない。だがかつてシングルモルトは、スコットランド全域でもマニアックなニッチ商品でしかなかった。そんな状況を変えて、現在のような世界的なシングルモルトブームを巻き起こした功績の一部は、間違いなくゴードン&マクファイルにあると言ってもいいだろう。

エルギンで1895年に設立されたゴードン&マクファイルは、今年で創設125周年となる。この記念すべき年に発売したのが、いわゆる「ロスト・ディスティラリー」(失われた蒸溜所)から4種類のシングルカスク商品だ。

プレステージ部門ディレクターのスティーブン・ランキンが説明する。

「ゴードン&マクファイルにとっては、どれも本当に希少で特別なボトルです。なにしろこの4つの蒸溜所の原酒で、わたしたちが所有する最後の樽から得られたウイスキーですから」

第1弾のリリースは、エルギン南部で蒸留された「1972年 コールバーン」(47年熟成)と、「1984年 グレンユーリーロイヤル」(35年熟成)だ。グレンユーリーロイヤルはストーンヘブンにあった蒸溜所で、今回のリリースは蒸溜所が閉鎖された年に蒸溜されたスピリッツである。全部で4種類の商品が発売される予定だが、残りの2つは年内にお披露目される。

1895年5月24日、ゴードン&マクファイルの開業を宣言したのは、ジェームズ・ゴードンとジョン・アレクサンダー・マクファイルであった。開業の地はエルギンのサウスストリートにあり、交通の便もよくスペースも十分に広い。ビジネスの中核を担っていたのは、スペイサイドの中心地で生産されるウイスキー。その他にも食料品やワインなども取り扱っていた。

黎明期のゴードン&マクファイルに入社したジョン・アーカートは、見習いとして働いていた。だが地元の蒸溜所からウイスキーを選定し、購入し、熟成させる仕事に見事な才能を発揮しはじめる。そしてアーカート家の4代目にあたるスティーブン・ランキンが、1915年にゴードン&マクファイルの社史を塗り替えた。

この年にビジネスの主導権を握って以来、アーカート家は現在までゴードン&マクファイルの活躍を支え続けている。最高品質の熟成環境を確保するため、各蒸溜所で生産されるニューメイクスピリッツを独自の樽で熟成してきた。その伝統はずっと変わっていない。
 

長い歴史を支えてきた経営哲学

 
スティーブン・ランキンは、ウイスキーづくりの基本となるような名言を聞かせてくれる。

「わたしたちの現在の成功は、先人たちの哲学のお陰で維持できています。その哲学とは、常に30〜40年先を見据えた長期的な戦略に基づいていること。そして蒸溜所やお客様との関係を何よりも大切にすること」

1895年に設立されたゴードン&マクファイルは、現在も事業全体で160人を雇用。発売する多彩な商品は、年間200品以上にものぼる。

「サプライヤーに敬意を払えば、お客様が購入したがるような高い品質の製品が手に入るようになります。わたしたちは卓越した品質の製品を生産しているからこそ、こうしてビジネスができています。この品質は、決して時代遅れにならないタイプの品質なのです」

スティーブン・ランキンの祖父であるジョージ・アーカートは「未来は現在の努力によって形作られ、現在の状況を見れば過去に費やした努力の程度がわかる」と書いている。「これから5代、6代、7代と世代が変わってもビジネスの勢力を維持し、現在のわたしたちが努力することによって将来の人々たちが恩恵を受けるよにしなければなりません」とスティーブン・ランキンは言う。

ゴードン&マクファイルで、シングルモルトウイスキーのコレクション「コニサーズ・チョイス」を創始したのはジョージ・アーカートだった。当時はまだ1968年で、スコッチウイスキー業界はブレンデッド一色。誰もが「シングルモルト愛好者がそんなに多いはずがない」と考えていた頃である。だがジョージ・アーカートは、みずからの判断の正しさをすぐに証明した。フランス、米国、イタリア、オランダなどに潜在的な需要があることを知っていたのだ。

スティーブン・ランキンは次のように語った。

「1960年代から、ゴードン&マクファイルはシングルモルトの売上を伸ばす活動の最前線にいました。現在のシングルモルト需要を創出するのに貢献したと自負しています」
(つづく)