アイラ島から、さらに北西へ。アウター・ヘブリディーズのハリス島とルイス島を巡り、圧巻の大自然が育む黄金のスピリッツを味わう。

文:アビー・モールトン

 

真夜中のアウター・ヘブリディーズ。 丘の上にじっと佇む1頭の鹿を眺めながら、言葉もなく立っている。うねるような大地は何マイルにもわたって広がり、遠くの山々まで起伏を繰り返しながら続いていく。真夜中だというのに、周囲はまだ明るい。空はピンク色に染まり、縞のような閃光が横切っている。

夏の盛りにアウター・ヘブリディーズを訪ねると、美しい白夜の光が旅人たちへのご褒美になる。太陽は地平線の下にほんの少し潜っただけで、すぐにまた現れて朝になる。真夜中の朝日は、野花が点在する沼地やゴツゴツとした丘を照らす。

急峻な山々の稜線は海へと駆け下り、美しい白砂のビーチに出会う。このような変化に富んだ風景が、ハリス島とルイス島の魅力だ。ドラマチックな大自然のコントラストが、アウター・ヘブリディーズの本質である。

アンダーソン・ベイクウェルが2015年に設立したアイル・オブ・ハリス蒸溜所(メイン写真も)。スコッチの新潮流として期待されている。

ここに来た理由のひとつは、ウイスキー用天然水「ラークファイヤー」の源泉を訪ねることだ。世の中のあらゆる名案がそうであるように、ウイスキー専用の水を販売するアイデアも夕食のテーブルから生まれた。もちろん良質なシングルモルトウイスキーを開封した夜のことである。ラークファイヤー共同創業者のジェームズ・マッキントッシュが、ウイスキーに少しだけ加えるための水を所望し、「水道水がいい? それともボトル入りのミネラルウォーターにする?」と聞き返されて考え込んだ。そして荒野の果てを目指す旅につながったのだ。

ジェームズによると、ウイスキーは複雑な化学によって成り立っているため、加える水の種類によって液体の組成さえも変えてしまう可能性がある。水道水にはフッ素化合物、塩素、硝酸塩が含まれ、運悪く硬水の地域に住んでいると微量のエストロゲンや砒素まで検出されることがある。これらの成分は、スピリッツの品質を傷つけかねない。

ウイスキーの加水用としてボトル入りの水がよく選ばれるのは、バランスよくミネラルを含有していることや、雑味の少ないクリーンな味わいからだ。そのためウイスキーに入れると、独自の特性も加えることができる。ウイスキーをつくったときに意図した通りの味わいを体験して欲しい。ジェームズは、そんな理想をかなえる解決策を求めていた。

スウェーデン人化学者のビョーン・カールソンとラン・フリードマンによると、ウイスキーにあらかじめ加水しておけば、さまざまな恩恵が得られる。分子の観点から考えても、水にはエタノールの結合を解いてフレーバー成分を解き放つ働きがある。水をあらかじめウイスキーに入れておけば、融合したアロマをグラスの中で目覚めさせることができるのだ。

真っ白なキャンバスのようにニュートラルな水を見つけなさい。それが化学者たちからのアドバイスだった。つまり脱イオン化したり、不純物を取り除いたりした純度の高い水。だが人工的な蒸溜水はロマンティシズムに欠ける。良質なウイスキーには、やはり良質な天然水が相応しい。そこでジェームズは、もともとニュートラルな性質の天然水を探すことにしたのである。
 

アウター・ヘブリディーズにある究極の軟水

 
必要なのは、化学物質やミネラル成分の影響を受けていない水。有り余るほどの純粋できれいなH2Oだ。そんな条件を突き詰めるうち、大西洋の端にある3億年前の岩盤にたどり着いた。

アウター・ヘブリディーズのハリス島とルイス島には、ヨーロッパ最古といわれる地層がある。その古さは、地球の歴史の3分の2にも相当するほどだ。火山活動による地殻変動、大陸の衝突、氷河による浸食によって、キザギザの稜線を含む独特なスカイラインができた。この島々に人類が定住を始めたのは、少なくとも紀元前6,000年頃から。ブリテン島周辺では、もっとも初期から人が住んでいた土地でもある。

ほぼ未経験の「ターバートの10人衆」と呼ばれる島民たちがアイル・オブ・ハリス蒸溜所で働く。スピリッツや熟成樽の種類は豊富で、市場を意識した実験精神にも溢れている。

ここにある古代の岩たちは、島の歴史をささやいてくれそうなムードだ。その言葉は、ゲール語と古代ノルド語が融合したヘブリディーズ方言であろう。新石器時代の儀式、鉄器時代の農業、バイキングの襲来、マクラウド氏族の城、地主たちの紛争。島を有名にしているのは、先史時代から遺っている古跡の数々だ。カラニッシュ立石、ダン・カロウェイの円塔、聖クレメント教会の墓石などは、どれも畏敬の念を呼び起こす。

ハリス島とルイス島は、はっきりと2つの島に分かれていない。むしろひとつの島が、山嶺によって2つに隔てられているというべきだ。だが双方の風景は、別世界のように異なっている。北にあるルイス島は、広大な泥炭地と平坦な草原が特徴。南のハリス島は、険しい山々や月面のような岩の大地に覆われている。

それぞれの島には、蒸溜所が1軒ずつある。このドラマチックなまでに対照的な2つの島の特性が、スピリッツにも反映されているのかどうかを確かめたいと思っていた。

島を車でドライブしていると、道は大地をえぐるように曲がりくねっている。ハンドルを切るたびに、目の前には新しい風景が開けてくるのだ。東海岸は小さなフィヨルドの連続で、その姿から「ベイズ」(たくさんの入り江)という名でも知られている。
 

アイル・オブ・ハリス蒸溜所を訪問

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港町のターバートには、アイル・オブ・ハリス蒸溜所がある。モスグリーンの丘に囲まれ、白い建物が鮮やかに輝いている。スタイリッシュでミニマルな建築には、伝統的なパゴダの屋根もない。昔ながらの蒸溜所というよりは、現代的な北欧建築のようだ。

初めてのシングルモルトウイスキー「ザ・ヒーラック」(ハリス島民の意)の発売を待っているアイル・オブ・ハリス蒸溜所は、スコッチウイスキーの新しいムーブメントとして注目されている。蒸溜所のモダンな佇まいは、そんなフレッシュなイメージにもぴったりである。蒸溜所で出迎えてくれたサンドラ・フレーザーは、こんな言葉を述べた。

「創設者のバー・ベイクウェルは、蒸溜所を訪ねてくれた人がまず火を目にするように設計したかったんです。ヘブリディーズ諸島のあたたかなホスピタリティを象徴していますからね」

人懐っこい印象のサンドラは、歌うような島特有のアクセントで話してくれる。そんな言葉の端々にも、あたたかなホスピタリティが感じられるのだ。

熟成期間の判断は、テイスティングで決まる。初めての主力商品「ザ・ヒーラック」も熟成中だが、発売の時期は「神のみぞ知る」。

バーことアンダーソン・ベイクウェルは、2015年にこの蒸溜所を創設した。数十年間にわたって若者たちの流出が続く島の状況を目の当たりにし、バーは持続可能な雇用の創出が必要だと考えていた。その解答が、蒸溜所の建設だったのである。ウイスキーの蒸溜所なら、今だけではなく将来にわたって一定の雇用が確保できるのだとバーは説明する。

「この島には、軟らかい水質の本当にきれいな水源があります。だから、この名水を黄金の液体に変えようじゃないかと思いました」

蒸溜所の創設を手掛けたチームは「ターバートの10人衆」と呼ばれ、全員がもともと島内に住んでいた人々だ。雇用の際には、感覚(嗅覚や味覚)のトレーニングも実施され、経験不足を埋め合わせるために最初から重責を担わせた。

蒸溜室には木製のマッシュタン(糖化槽)がいくつかあり、それを見下ろすように1基の銅製スチルが聳えている。かなり高い天井からとアーチ窓から降り注ぐ陽光が室内を明るく照らし、まるでスピリッツの教会に置かれた祭壇のような趣きだ。

空気には甘いモルトの香りが満ち溢れ、全粒粉ビスケットやほんのかすかなピート香も感じられる。今日はちょうど初めてヘビリーピーテッドのスピリッツ(原酒樽100本分)を、私的な目的のために蒸溜しているところだ。だがフラッグシップ商品の「ザ・ヒーラック」は、ピートの効いた重厚なスタイルではなく、もっと軽やかな味わいになる。現在はバッファロートレースのバーボン樽で熟成が進んでいる最中だとサンドラは言う。

「熟成期間は決めていません。ウイスキーの状態を見て、ちょうどフレーバーがピークに達したときにボトリングする予定です。ハリス島で初めてのシングルモルトウイスキーだから、参考にすべきハウススタイルの前例もありません。これからつくる私たちのウイスキーが、ハリス島のスタイルです」

ニューメイクスピリッツをノージングしてみると、花や柑橘を思わせる鮮やかな香りがあった。そこには、ほんのかすかにトロピカルフルーツのような要素も感じさせる。ハリス島に来ると空気が本当に新鮮だと感じるが、このニューメイクスピリッツも生き生きとしている。まるでヘブリディーズ諸島を吹き抜ける風のようだ。発売の予定を尋ねると、サンドラは微笑みながら言う。

「神のみぞ知る、ですね。人生はじっくりと時間をかけて味わうもの。それがハリス島で暮らす人々の素晴らしい価値観なのですから」
(つづく)