革新の再興 ― グレンキース蒸溜所 【前半/全2回】

April 14, 2014

スペイサイドの静かなる雄、グレンキース。実験と革新の中心にあり、長らくの閉鎖期間を経て昨年操業を再開した。同蒸溜所が行ってきた独特の製法に迫る。

グレンキースは スペイサイドの仲間であるトーモアと並んで、第二次大戦後に建設された新規蒸溜所のひとつだった。この蒸溜所は1957〜1960年の間に、キースの町のストラスアイラ蒸溜所に近い旧トウモロコシ製粉所の敷地に作られた。

グレンキースは当初ストラスアイラの所有者であった、カナダの シーグラム社が建設した。現在ではシーバス・ブラザーズ社が所有している。
当時、アメリカでは「シーバス・リーガル」が強力に成長しつつあった。シーグラム社はストラスアイラ蒸溜所を通じてスコッチウイスキー部門を運営したが、その地所が比較的手狭で、モルトをブレンドする必要性に併せて大幅に拡張することは無理だったため、イスラ川の対岸にグレンキースを建てることになった。

「シーグラム社は製粉所の敷地を購入し、新しい蒸溜所とモルティング設備を建設しました」とシーバス・ブラザーズ社の蒸溜所マネージャー、アラン・ウィンチェスターは言う。「旧製粉所の一部にグレンキース 技術センターが設立され、今もそこにあります」

シーバス・ブラザーズ社の蒸溜所の中でグレンキースはあまり目立たない部類に入るが、当初から3基のスチルを設置して、 ローランドの蒸溜所で一般的な3回蒸溜を実践するなど、常に革新の最先端にいた。
アラン・ウィンチェスターによると、「グレンキースができたときに採用されたダフタウンの男がブッシュミルズで働いたことがあり、彼がブッシュミルズのやり方として3回蒸溜を紹介しました。それが1980年代初期まで続きました」

敷地内に技術センターがあるグレンキースは実験の中核になることが多かった。最も顕著な例として、この蒸溜所の麦汁とポットエール(蒸溜かす)から新しい酵母株が開発され、シーバス社の多くの蒸溜所で使用されるようになった
Glenislaと名付けられたヘビリーピーテッドスピリッツ も生産されたが、通常のヘビリーピーテッドモルトではなくライトリーピーテッドモルトが使われた。そして、ピートを燃やした煙を水に通し、その水を蒸溜してピーティさを凝縮してからウォッシュ(もろみ)に加えた。

一方、1970年には新しい1組のスチルを設置して 蒸溜体制を強化。これらのスチルはスチームコイルの設置こそ3年後だったものの、スコットランド初のガス燃焼式だった。バーボン式の連続式蒸溜機(ダブラー)が導入され、ローワインをこのスチルに通しての2回蒸溜が始まったが、しばらくの間は3回蒸溜の期間と交互だった。1983年に銅製スピリッツスチルが加わると、連続式蒸溜機は余分になり、恒久的に2回蒸溜になった。その3年前、グレンキースはマッシングと蒸溜のプロセスを管理するためにスコットランドで初めてマイクロプロセッサーを設置した蒸溜所のひとつになっていた。

およそ20年間、グレンキースはスペイサイドの「裏方」としての役割を果たし続け、大量のブレンド用モルトを静かに供給していたが、過剰生産の問題で1999年に生産を止めた。それでもストラスアイラでつくられたスピリッツはここでカスクに詰められ、ここのボイラーがストラスアイラのスチルを加熱していた。

シーグラム社は2001年にスコッチウイスキー蒸溜所資産をペルノ・リカール社に売却。ペルノ・リカール社はグレンキースの生産停止を続けただけでなく、2002年にはアルタベーン蒸溜所ブレイヴァル蒸溜所閉鎖した。
しかし、スコッチウイスキーの世界には周期性があるため、シーバス・リーガルなどのブレンドウイスキーの売上増加によりアルタベーンが2005年に蒸溜を再開、3年後にはブレイヴァルも蘇った。
シーバス社が所有する最も輝かしい資産であるグレンリベットは、2009/10年の拡張で生産量が80%増加、他にもシーバス社の多くの蒸溜所が生産量を増やしたが、グレンキースはやはり閉鎖されたままだった。

しかし、700〜800万ポンドの投資を受けて昨年生産が再開され、6月には 農林環境省内閣大臣リチャード・ロッホヘッド(スコットランド議会議員)が公式にオープニングを行った。

【後半に続く】

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