ラベルを読む・4【キング&クイーン 前半/全2回】

April 12, 2014

ラベルの話 第4回では、イングランド、アイルランド、ウェールズ、スコットランド、そして英連邦の王族を訪ねる スコットランドについて書く場合、ビクトリア女王の存在を忘れることはできない。彼女は、イギリス人が「ウイスキーの故郷」に再び注目するきっかけを作った功労者だ。
女王がスコットランドに有するバルモラル城の地所と隣接する、ロッホナガー蒸溜所。当時の所有者ジョン・ベグのお陰で、1848年、王室御用達になった。 ビクトリア女王とアルバート公がバルモラル城と地所を購入する計画だという事実をかぎつけたベグは、一杯差し上げたいと2人を蒸溜所に招待した。そしてある日、予告もなく2人が現れ、その後はご存知の通り。ロイヤル・ロッホナガーという名を許されているのだ。

王室の承認を得たのは、このディアジオ社が所有するなかで一番小さなこの蒸溜所が初めてではなかった。さかのぼること13年、コーダー城からそう遠くないブラックラ蒸溜所(現在はバカルディ社が所有)は、ビクトリア女王の先代であるウィリアム4世からその栄誉を受けた。
創設者で所有者のキャプテン・ウィリアム・フラサーは、違法な蒸溜行為で名高い地域にあるこの場所で23年にわたりウイスキーをつくっていた。しかし1835年、ロイヤル・ブラックラと呼ばれる頃には、もちろん違法ではなかった。それどころか、「The King’s Own Whisky(王のウイスキー)」と称されるようになった。

どちらの蒸溜所もまだ生産を続けているが、3番目の王室御用達蒸溜所、グレンユーリー 蒸溜所はそうではない。同蒸溜所は1993年頃閉鎖され、一部は共同住宅として再建された。しかし、まだ幾らかのストックが残っていて、現在の所有者ディアジオ社が限定版として稀に発売している。

グレンユーリー蒸溜所(別名グレンユーリー・ロイヤル)は、キャプテン・ロバート・バークレー・アラダイスが1825年に設立した。彼は優れた実業家だっただけでなく根っからのスポーツマンで、蒸溜業を始める前の1809年、1,000時間で1,000マイル(約1,600㎞)を走った地上初の男として有名になった。また、優れたボクサーであり素晴らしい中距離ランナーでもあったと伝えられている。

注目すべきは、3蒸溜所のいずれも、一度としてラベルに後援者の肖像を使用しなかった点だ。
対照的に、多くのブレンドウイスキーは歴代イングランド統治者の名前、時には肖像も掲げている。そのようなラベルは私のコレクションにも数多くあり、この記事の枠に収めるために少数に絞らざるを得なかった。

王族ラベルの習慣はアーサー王にまでさかのぼる。このラベルには彼自身ではなく、有名な円卓が使われている
不思議なことに、使用された王族の中にはジョン王も含まれている。彼は特に好かれていたわけではなく、獅子心王としても知られる兄のリチャード1世が十字軍を率いてパレスチナに行っている間に王位を盗もうとした。これは失敗に終わったが、結局は兄の死後に即位してイングランドの君主になった。ジョンはローマでも不人気で、 法王に破門された。

彼の後、イングランドにも大英帝国にも、ジョンという名の王は現れなかった。 ローマを怒らせたもうひとりの悪名高い王がヘンリー8世。6回結婚し、妻の1人や2人は躊躇なく殺した。
彼のせいでローマカトリック教会の分派ができ、彼の行いによりイングランドは英国国教会(WMJ註:聖公会/アングリカン・チャーチとも呼ばれる)に向かうことになった。

【後半に続く】

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