リンバーグウイスキーフェア【現地速報レポート】
ヨーロッパの中でも屈指のウイスキー消費国と言われるドイツ。そして自動車やテクノロジー、環境への取り組みなど各種産業で垣間見ることができる生真面目で細かいところにこだわる国民性は、ウイスキーにおいても同様だ。そんなドイツ人が生み出した世界で最もGEEKY(ギーキー:オタクっぽいさま)なウイスキーのイベントと言われるリンバーグウイスキーフェア。その実態に迫るべく、本誌記者がドイツへ飛んだ。
フランクフルトから電車で約1時間のところにある小さな田舎町リンバーグ。なだらかな傾斜の丘の上には立派な教会がそびえ、街には500年以上前に建てられた住宅が今なお健在でひしめき合う。石畳の路地は迷路のように入り組んでいて、観光客にとっては中世へタイムスリップしたような感覚を覚える。絵に描いたようなヨーロッパの町並みは明らかにスコットランドの街とは異なり、そこに世界中のウイスキーファンが集まると想像するのはやや困難だ。
ところが、街が与えるそんな印象とは裏腹に、ウイスキーフェア開催当日(4月27日・28日)は信じられないくらいの人で会場が埋め尽くされた。今年の東京でのウイスキーライヴほど大きい会場ではないが、3階建てのホールを貸し切り、さらに仮設のテントも設置。ウイスキーのイベントとしては十分な広さだと感じたのは最初だけで、開場からものの数分で世界中から訪れた愛好家で埋め尽くされた。その様を日本語で例えるとするならばまさに『芋洗い状態』。まっすぐ歩くことはおろか、目的のブースにたどり着くのさえ困難なほどだ。聞けば毎年のことだというが、誰一人として文句を言うものもいない。皆、この混雑を祭りの賑わいとして楽しんでいるようだ。
さて、それではウイスキーライヴ などに代表される日本のウイスキーイベントとの違いを見てみよう。
まずチケットとテイスティングのスタイルについて。
チケットはテイスティンググラスが付いて10ユーロ、手ごろな価格である。一方でテイスティングはほとんどが有料で、安いもので2ユーロほどから、上は限りない。すべて現金でやり取りされる。入場のハードルが低い反面、会場内でお金がかかるシステムだ。その都度支払いの手間は発生するが、自分の懐具合や酔い具合と相談しながら飲めるので、これはこれで合理的なシステムだ。
また、テイスティング用にウイスキーを購入してもその場で飲みきる必要はない。
ミニチュアボトルが各ブースに用意されており、気になるものはそのボトルに詰めて持ち帰ることができる。これはウイスキーファンにとって有り難いサービスではあるが、日本では保健所の指導により会場内での詰め替え販売が不可能となっており、残念だ。これもまた「所変われば」というお国柄の違い、海外だけの特典と考えるべきだろう。
約50ほどある展示ブースは全てウイスキーで、作り込まれた造作などはほとんどなく、殺風景と言えるかもしれない。シンプルにパネルとテーブルがあるくらいだ。その代わりボトルの多さで来場者の目を楽しませている。
確かにそのボトルバリエーションは目を奪われるようなオールドボトルや最新のボトルなど、愛飲家・コレクター問わずウイスキーファンなら喉から手が出るようなものばかりだ。来場者はそのボトルを思い思いに眺め、テイスティングしたりその場で購入したりする。この購入できるという点がこのイベントの大きな特徴の一つと言えよう。テイスティングする楽しみもさることながら、世界中から掘り出し物を探し求めて人が集まってくるのだ。テイスティングイベントと展示即売会、そしてウイスキーの骨董市といった要素が盛り込まれているイベントなのである。
また、来場者も老若男女問わず非常に幅広い層が訪れている点も日本のイベントとは少し異なる点だ。改めてヨーロッパでは幅広い年代にウイスキーが好まれていることを実感させられる。会場にはレストランも併設されており、ゆっくり飲むことができる環境が整っていることも幅広い年代の来場につながっているのだろう。できる限りテイスティングをして数を飲む人いれば、椅子に座ってじっくり楽しむ姿もある。皆、思い思いに自分のスタイルでウイスキーを楽しんでいるのだ。老夫婦が仲睦まじくウイスキーを片手に語り合う姿を見ると微笑ましいことこの上ない。
一口にウイスキーのイベントと言っても、このイベントは日本人が想像するものとは全く違う。記者が感じたのはウイスキーを思い思いのスタイルで自由に楽しんでいるということだ。飲んで楽しむ人、ボトルを眺めて楽しむ人、コレクションを楽しむ人、買い物を楽しむ人、人との会話を楽しむ人。いずれにしても『ウイスキー』を楽しんでいる素晴らしい光景だ。このようにウイスキーが人と人をつないでいる様子を見ると、一ウイスキーファンとして幸せな気分になる。そして年に一度のこのイベントは、日本から遠く離れたドイツの地であっても十分に訪れる価値がある、そう思ってやまない。