スコッチウイスキーの熟成に使用されているシェリー樽は、有名なソレラ樽にあらず。シェリー樽にまつわる誤解を解くシリーズの第3回。

文・写真:クリストファー・コーツ

 

前回まではシェリーの歴史をおおまかに辿った。その上で、スコッチウイスキーメーカーが熟成に使用するシェリー樽にソレラシステムの樽が含まれることはほとんどないという事実も明らかにした。しかしそれが事実なら、ウイスキー業界で使用されているシェリー樽は一体どこからやってきたのだろう?

よく聞く逸話がある。前提として、シェリーは樽に入れられて船で英国に運ばれていた。英国でのシェリー消費は、当時も現在もかなりの量にのぼる。だが空き樽をただヘレスに送り返すのではもったいない。そこで抜け目のないスコッチメーカーたちが、不要になった空き樽をただ同然の値で買い取ってウイスキーの熟成に使用し始めたという話である。

だが事実を確認してみると、これが過去のウイスキーメーカーの名誉を多少なりとも傷つけるホラ話であるとわかる。なぜならウイスキー業界の人々は、当時からシェリーの輸送に使用された樽がウイスキーに好ましい特徴を授けることを明確に理解していたからだ。

1895年の開業当時から樽入りのシェリーを輸入していたゴードン&マクファイル。ウィリアムズ&ハンバートのシェリーは、人気の取扱品目だった。

ヘレスのワインメーカーが輸送用の樽にほとんどコストや時間をかけておらず、スコッチウイスキーの蒸溜所がシェリー輸送用の樽に価値を見出していることを知らなかったという前提にも無理がある。実際のところ、ボデガのオーナーたちは輸送用の樽を用意するためにかなりの時間と労力を投じ、ウイスキーメーカーが期待するシェリー樽の条件もしっかりと把握していた。

19世紀の価格表を見れば、その証拠がある。シェリーの価格表には大抵シェリーバット1本分のワインの価格が記されており、樽そのものの値段は含まれていない。もし英国で用済みになったシェリー輸送樽の需要がなかったら、ボデガは「再輸出される物品を対象とした輸出許可の特例条項」を活用して、樽をそのままスペインに返却させることもできたはずだ。そのような状況を踏まえると、「樽をスペインに返却するのは費用がかかりすぎる」という前提がおそらく誤りであるとわかる。

他にも重要な資料がある。当時からさまざまな種類のワインが英国に輸入されていたのに、ウイスキー熟成用の樽はどんなワイン樽でもよいという訳ではなかった。スコットランドとアイルランドのウイスキーメーカーが、わざわざシェリー樽を探し出して高値で買い取っていた証拠も残っている。事実、アイルランドの蒸溜所がポットスチルウイスキーの偽物を防ぐために発行した『ウイスキーの真実』(1879年刊)という本には、シェリー樽が「ダブリン産のウイスキー」の風味に欠かせない要素であると記述されている。

 

シェリー樽を模倣したスコッチ業界の工夫

 

文書で残された記録をさらに検証してみよう。ノッカンドゥにあるタムデュー蒸溜所は、開業から1年にも満たない1898年に最初のシェリー樽を取り寄せている。当時の新進蒸溜所が、ウイスキーの原酒に望ましい風味を付与するため、シェリー樽熟成を重視していたことを物語る証拠だ。この伝統は今日にも受け継がれており、タムデューが発売するシングルモルトウイスキーにはヨーロピアンオークまたはアメリカンオークのシェリー樽で熟成された原酒しか入っていない。樽の調達先は、ヘレスにあるテバサ、バシマ、ウベルト・ドメックなどの樽工房である。

ノッカンドゥからさほど遠くないエルギンでも、食料雑貨商のゴードン&マクファイルが1895年の開業当時から1970年代まで樽入りのシェリーを輸入していた。家族経営のままウイスキーづくりとボトリング事業を始めた同社は、現在もシェリー生産地との取引を維持している。自社で生産するベンロマック蒸溜所のウイスキーをはじめ、ゴードン&マクファイルが販売するウイスキーの多くはシェリー樽で熟成される。そのシェリー樽は、ヘレスで組み上げてウィリアムズ&ハンバートのシェリーでシーズニングを施したものだ。ゴードン&マクファイルは、過去にウィリアムズ&ハンバートのシェリーを輸入してスペイサイドの顧客に販売していたこともある。

開業直後の1898年からシェリー樽を使用してきたタムデュー。今でもヘレスにあるテバサ、バシマ、ウベルト・ドメックなどの樽工房からシェリー樽を調達する。シングルモルトは、ヨーロピアンオークまたはアメリカンオークのシェリー樽原酒100%である。

1850年以来、スコットランドでは各社が競い合うようにシェリー樽を調達していた。そして新しい輸送用の樽を確保しながら、英国の樽工房では古樽を再活性化させるために「ワイン処置」もおこなわれるようになった。

この「ワイン処置」のひとつとしておこなわれたのは、パクサレット(パハレテ)と呼ばれる甘い酒精強化ワインを少量(500~1000ml)だけ樽に注いで蒸気圧をかける方法である。シロップのような酒精強化ワインを、蒸気の力で樽板に浸透させるのだ。またワインを濃縮した「アローペ」(パクサレット内の甘味成分)もパクサレットの代わりによく使用され、時にはパクサレットとアローペを併用することもあった。20世紀初頭から半ばまでの識者が著述したところによると、「カリフォルニア産シェリー」などの紛い物もこのような処置に使用されていたという。

1900年代の初頭までに、同様の処置は英国の樽工房で組み上げたオーク新樽にも施されるようになった。目的は輸送用シェリー樽の特徴を再現すること。英国に届く本物のシェリー樽だけでは、すでに必要な分をまかなえなくなっていたのである。

このような状況は、数十年にわたるスペイン内戦や2つの世界大戦による混乱でさらに悪化の一途を辿ることになる。スコッチウイスキー業界の大スキャンダル「パティソン事件」が起こった1898年にはシェリーバット1本あたり40ペセタだった輸送用シェリー樽が、1945年には725ペセタになるほど高騰した。

パクサレットを使用した「ワイン処置」は複雑な工程だが、シェリーの濃縮液をウイスキーに直接ブレンドして風味を改善した極端な例もある。このような細工は、1980年代以前に正当な手順で用意された本物の輸送用シェリー樽や、ヘレスの三角地帯内で造られる今日の高品質な認可済みシェリー樽とは明確に分けて考えなければならない。この問題については次回以降に解説しよう。
(つづく)