ウイスキーの熟成に使用されるシェリー樽とは、もともとシェリーの輸送に使われてきた樽のことだった。だがスペインの法改正で、樽入りシェリーの輸出は全面禁止に。樽を確保するためにスコッチウイスキー業界が採った手段とは?

文・写真:クリストファー・コーツ

 

英国のウイスキーメーカーに重宝されたシェリー樽は、シェリーを熟成した樽ではなく輸送に使用された樽だった。ならば、まずはこの樽が一体どんな樽なのかを知っておく必要があるだろう。

総合的に判断して、この輸送樽は「安価な地元産のヨーロピアンオーク」を原材料にしていたと見て間違いない。米国から輸入されたアメリカンオークは、主にワイン造りの工程で使用されていたからだ。

しかしながら1870年代〜1950年代の信頼できる資料によれば、北米産のオーク材は輸送樽を含むあらゆる目的に向いているという記述もある。ヨーロピアンオークやその他の地域のオークは、アメリカンオークの供給が不足しているときに限って使用されるというのである。代替のオーク材として、ペルシアンオーク(イラン産)が使用される面白い例もあったと記録されている。

ある資料によると、シェリーを国外に輸送する際に使用された樽は、シーズニングも特別な処置もまったく施されていなかった。シェリーバットのサイズが大きいことや、ヘレスから英国への輸送で樽内に入っている期間がせいぜい数ヶ月(数年ではなく)であることを考えると、ワインに樽材が与える悪影響は最低限で済むだろうという論理である。

調査によると、輸送樽にはかなり品質の低いワインが入れられていたようだ。そのワインが通常のワインだったのか、酒精強化ワインだったのかはわからない。だがどうやら英国側では、樽から引き出されたタンニン(または他の木材由来の成分)が味気のないスピリッツに好ましい影響を与えてくれたり、タンニンにスピリッツの品質劣化を防いでくれる効果があるのではないかと考えられていた。

以上のような慣行が真実だとしても、19世紀末までには別の方法が広まっていく。ヘンリー・ヴィゼテリーが著した『シェリーの事実』(1876年刊)には、輸送用シェリー樽の準備工程やヘレスでのワイン造りについて説明する際に「シーズニング」という用語が少なくとも9回登場している。樽を使用前にシーズニングすることが「当たり前」で「必須」の工程であると何度も書いているのだ。

さらにヴィゼテリーは、何種類かの異なるシーズニング工程について言及している。どのようなシーズニングを施すかは、樽の使途や樽入れされるワインの品質によっても異なってくる。このようなシーズニングの来歴は、樽本体に記録されていた。

高品質のヘレス産ワインを輸送するのに使用された樽は、伝統的にシーズニングを施されていたようだ。このシーズニングは、タンニンを取り除き(あるいはアルコール度数約18%の液体から少なくとも水溶性のタンニンを除去し)、輸送中にワインの風味が変質するのを防ぐための処置である。19世紀の段階で、ヘレスのワインメーカーは自分たちが採用しているさまざまなシーズニング手法がどのような結果をもたらすか明確に理解していた。

ヴィゼテリーは複数のシーズニング工程を紹介している。樽を18時間にわたってスチームしてから水を張る方法、新品の樽内に果醪を入れて発酵させる方法、専用のワインで樽をシーズニングする方法などである。水を張る方法は、面白いことに現在のコンセホ・レグラドール(2017年に原産地呼称統制委員会が制定した容器のシーズニングに関する技術仕様書)によって禁じられている。「工程の開始前あるいは終了前に水を入れた樽は、シーズニングされたものとみなさない」と明記されているのである。

 

樽のコンディションをワインで整える

 

ヘンリー・ヴィゼテリーの著書から約60年後、マヌエル・ゴンサレス・ゴルドンが『シェリー:高貴なるワイン』(1935年)を著した。同書によると、シーズニングされていない樽に貯蔵されたワインは風味が損なわれ、極端な場合には「蒸溜酒の原料以外には使い道のない代物」になってしまうという。

さらに本では、新しい樽をシーズニングする「最も実用的な方法」が果醪(ブドウ果汁)の発酵容器として使用することであると記述されている。その理由は、「発酵の過程で果醪が木材から樹脂成分を吸い出してくれるから」。同時に木材は他の物質を吸い込んで樽内に沈着させることができる。加えて「果醪はワインのように木材から引き出された成分のせいで台無しになることがない」という記述もある。

ウイスキー業界もまた、シェリーを英国に輸送する前には輸送樽に何らかの準備工程が必要であることを理解していた。ジュリアン・ジェフスは有名な著書『シェリー』(1961年)で、長年実践されてきた慣行の詳細を記している。

果醪から若いワインを造る「発酵ボデガ」が、ウイスキーメーカーに新しい樽を供給する。この若いワインとは、つまりシェリーになる前段階のワインである。ジェフスは「スコットランドのウイスキーメーカーが新しい樽を購入し、シェリーの輸送業者に貸し出して使用させている。だから発酵ボデガを訪ねた人は、シェリーバットの鏡板に有名なウイスキーブランドの名前が記されているのを見て驚くかもしれない」と記している。

ウイスキー業界とシェリー業界は互いのニーズを満たしながら共に成長してきた。ヘレスにあるウィリアムズ&ハンバートのボデガ内では、ハンターレインのためにシーズニング中の樽が並んでいる。

1970年代までに、若いワインをシェリーバットで発酵させる慣行はシェリーの生産工程における定番のひとつとなっていた。このシェリーバットがやがて温度管理可能なステンレス製の大型発酵槽へと様変わりしていくにつれ、樽材を中和する別の方法が出現する。

フランシスコ・アイヴィソン・オニール(1831〜1890年)が特許を保有していた方法は、アンモニアを含む圧力蒸気を40~50分ほど樽に当ててシーズニングと同じ効果をもたらすものだ。また硫黄を使って木樽を殺菌することで、酢酸菌などの細菌感染を防ぐ手法もオニールが最初に編み出した。これもまた次回以降の記事で紹介したい重要なトピックである。

ともかく、通称「ゴメス方式」の一種でもあるアンモニア蒸気法は、遅くとも1890年代末から樽の準備工程における定番の手法となり、発酵によるシーズニングを施した樽が入手できない際に不足分を埋めるようになった。樽にワインを満たすシーズニング方法も最終的な品質に寄与するとして継続され、樽内でワインを発酵させる手法と併用されていた。だがシーズニング用のワインをタンニンで台無しにしてしまうことからコストがかさみ、徐々に主流からは遠ざかっていった。

だがそんなことより、もっと大きな変化がやってくる。シェリーは1970年代まで大半が樽で輸出されていたのだが、やはりスペイン国内でボトリングしたほうが輸出用シェリーの品質保持に寄与できることは明らかだった。さらにはシェリーの名声を利用した英国産シェリー、オースラリア産シェリー、カリフォルニア産シェリーなどの模倣品や、完全な偽物と競争する徒労も避けたい。シェリーというカテゴリーを守るためには、国内でボトリングするのが理に適っていた。

1980年代前半、コンセホ・レグラドール(原産地呼称統制委員会)は、規定の生産地帯外でボトリングしたワインがシェリー(Jerez、Xérès、Sherry)を名乗ることを禁じた。これによって、スコッチウイスキー業界に長年供給されていた伝統的な輸送用のシェリーバットは、ほぼ一夜にして入手不能となったのである。

だがひとつの扉が閉まることで、新しい扉も開くものだ。幸いにして多くのスコッチウイスキーメーカーは、長年にわたり自社専用のシェリー樽をスペインの樽工房で造っていた。樽の組み立て、チャー(内面の焼き付け)、シーズニングを自社の仕様でおこなう体制ができていたのである。

現在、ウイスキー蒸溜所が使用するオーダーメイドのシェリー樽生産は、それ自体がひとつの業界として成立しており、コンセホ・レグラドールの規制によって管轄されている。

次回では、オークが樽材になるまでの旅をたどってみよう。
(つづく)