キルベガン蒸溜所 ― 時の試練 【後半/全2回】
失敗に終わった1947年の売り出し。フレッド・ミニックがアイルランドのキルベガン蒸溜所の歴史を紐解き、現状を解説する。
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メアリー・ホープ・ジョンストンは蒸溜所の売却を決定したが、売却価格を設定するための評価人を導入しなかった。蒸溜所役員会は業界紙の広告ページを買ってオファーを募り、これが広く門戸を開く結果になった。売り出しの情報はニューヨークからスイスまで徐々に広がったが、製造業者管理法(WMJ訳)という1930年の法律により、ウイスキーのようなアイルランド産業についてはアイルランド人が51%を所有することが義務付けられていた。そのため、あるスイスの企業連合が、キルベガン蒸溜所の購入に肩入れしてもらうためにアイルランド共和党(フィアナ・フォイル)の指導者、ウィリアム・クアーク上院議員を引き込んだ。
クーニーも、投資家をはじめ、とあるアイルランドの蒸溜業者(「マーフィー」という名前でしか今は分からないが)の援助でキルベガンを買おうとした。しかしホープ・ジョンストンは、最高額のオファーすなわち現在の貨幣価値で930万ポンドに相当する、30万5千ポンドというスイスの企業連合のオファーを受けることにすると言った。
クアーク上院議員は2万2千ポンドの報酬で、製造業者管理法の元で外国の企業共同体が蒸溜所を買うことができるように産業商業省(WMJ訳)の支援を求めた。一方、スイスの企業連合は、保証金は「常にトラブルの元だ」と言って、蒸溜所に保証金を払うことを拒否した。さらに、法務省(WMJ訳)も、このスイスの買い手がイギリスの闇市場で6万ガロンを1ガロン11ポンドで売り払う計画だという提言を受けた。それが本当だとしたら、スイスの企業連合は残されたロックのウイスキー在庫を購入し、税金を逃れて手早く66万ポンド稼ぐ算段ではないかと疑いをかけられた。これほどの金額とアイルランド人政治家が関与していることから、政府は裁判を開くことになった。
2週間にわたり、国務大臣は売却に関する情報を公開しなかったと追求され、またクアーク上院議員は外国人を援助する特権を悪用したと追求された。それは1990年代のビル・クリントン米国大統領のセックススキャンダルにも似た政治的な魔女狩りで、ロック家の蒸溜所はその只中に巻き込まれた。確かにこのスキャンダルは役員会の落ち度ではなかったが、彼らの強欲がアイルランド最大のウイスキー銘柄のひとつに死をもたらしたのかもしれない。
多くの歴史家は、このロック裁判が1948年の共和党の敗北につながったと考えている。何はともあれ、売り出しは失敗し、ロックの蒸溜所は名声を回復することなく1953年に閉鎖された。
現在はジムビームがキルベガン蒸溜所を所有し、2007年以降、180年という長い歴史を持つポットスチルで蒸溜を行っている。1980年代には、元々のロック家の建物が、蒸溜所の歴史を伝える博物館にすることに重点を置いて修復された。ジムビームはLocke’s 8 Years Oldアイリッシュ・シングルモルトウイスキーの製造を続ける予定だが、ロックウイスキーは引き続き需要に応え、キルベガンラインが推進力という態勢は変わらないだろうと、ジムビームのアイリッシュウイスキー世界販売部長、スティーブン・ティーリングは言う。
しかし、ロックの名声は決して消えてはいない。1757年から操業し、100年近くロックウイスキーの時代を築いたキルベガン蒸溜所はその過去を生き、呼吸している。その歴史は古いロックの貯蔵庫に置かれたクーリー蒸溜所のウイスキー樽の中で年を重ねる。ほぼすべての建物がロックの名声を思い出させ、当時の姿を垣間見せてくれる。