魔法を織り上げる -ディーンストン蒸溜所 【前半/全2回】
ロブ・アランソンが、蘇ったディーンストン蒸溜所を訪れる。
アバフェルディからバイクを走らせているうちに、空腹が何とも耐え難くなってきた。もっと朝食をしっかりとっておくべきだったのだろうが、そのときはスターリングに近いディーンストン蒸溜所まで行きたいと思っていたのだ。輝くばかりの新しいビジターセンターもあることだし。ありがたいことにディーンストン蒸溜所はウイスキー1杯とツアーだけでなく、作り立ての食べ物を完璧に取り揃えたカフェも備えている。ツアー前の腹ごしらえにぴったりだ。
ディーンストン蒸溜所自体は、正直なところ外から見る限りかなり簡素な建物で、蒸溜所というよりも事務所のようだ。マッシングと蒸溜の甘い香りだけが、中に隠された秘密を明かしている。
それはディーンストン蒸溜所がかつては紡績工場、それもなかなかの紡績工場だったという事実によるところが大きい。紡績工場は1785年に建てられたが、1800年代初期に最初の所有者の親戚だったジェームズ・スミスが17歳で引き継いで初の紡績工場マネージャーになって以降、本当の絶頂期を迎えた。
紡績工場はスミスの元で、1840年にはドゥーンやディーンストンだけでなく周辺地域からも1,000人以上の作業員を集めるまでに成長した。1830年にはジェームズ・スミスが設計した有名な水車4基が設置され、運転が始まった。最後の水車、ハーキュリーは1833年に設置された。水車はすべて紡績工場の鋳造場で作られ、最も古いものは120年間まわり続けた。
1945年には、直径約11m幅約3.4mというかさばる水車が効率的なタービンと交代した。ハーキュリーは当時、ヨーロッパ最大の水車と言われ、世界でも2番目の大きさだった。
この蒸溜所の紹介ビデオでは、オーナーのバーン・スチュアートの製作チームは1965年に紡績工場が閉鎖になる前に働いていた女性を見つけてくるという気の効いた仕事をしている。このようなやり方で歴史が大切にされていることは誠に喜ばしい。
紡績工場は1965年と66年の間に蒸溜所に変えられ、スチルや他の機械類を入れるために内部の4つの床が取り外された。1年に300万リットルのアルコールを蒸溜できる大きな球根状のポットスチルが2組あり、ボール形の膨らみのある長いネックと、逆流によって軽めのスピリットができる少し上向きに傾斜したラインアームが付いている。蒸溜室に入ると、床があった部分の梁跡が壁に残っている。
最近は蒸溜所もグリーン電力化に向かっているようだが、ディーンストン蒸溜所はしばらく前から独自の方法を開拓している。水力タービンがエネルギー源、エンジン室なのだ。このタービンのお陰で、生産したエネルギーの75%を大手送電網に売却できる。この蒸溜所は初めて有機認証を受けたところのひとつでもある。
《後半に続く》