タリバーディンの凱旋【前半/全2回】

February 2, 2018

栄枯盛衰が渦巻くウイスキー業界にあって、特に波乱の歴史を生き延びてきたハイランドの蒸溜所がある。1949年に創業したタリバーディンの歴史をたどる2回シリーズ。

文:クリストファー・コーツ
 

タリバーディンは、長年に渡って浮き沈みの激しい蒸溜所だったといえるだろう。その礎を築いたのは、アイル・オブ・ジュラ蒸溜所とグレンアラヒー蒸溜所を創設したことでも知られるウィリアム・デルメ=エヴァンズだ。

激動の歴史を辿ってきたタリバーディン蒸溜所。1973年にインバーゴードンが蒸溜所を改修して以来、ポットスチルなどの主要な設備はさほど変わっていない。

施設の完成は1949年。悪名高い19世紀末の「パティソン事件」以来初めてスコットランドで開業した蒸溜所であるという説もある。パティソン兄弟の不正に端を発するこの事件は、ウイスキー業界全体に打撃を与えて多数の倒産を引き起こし、蒸溜所建設ブームも終焉させた。だが実際には、20世紀に入ってからタリバーディン以前に新設された蒸溜所は2つある。モルトミル(1908年)とインヴァーリーヴン(1938年)だ。

デルメ=エヴァンズが蒸溜所の所在地に選んだのは、パース州ブラックフォード村。幹線のA9道路にも近いビール醸造所の跡地だった。この地域は古くからビール醸造の伝統があり、1488年にスコットランド王ジェームズ4世が立ち寄ってビールを購入した記録が残っている。現在のブラックフォード村には天然水メーカー「ハイランドスプリング」があり、周辺の山岳地域「オコールヒルズ」が良質な水の宝庫であることがよくわかる。

タリバーディンは、黎明期より蒸溜所設備をフル稼働させてウイスキーを生産していた。だがある主要取引先が、敵対的買収を試みたことから状況が一変する。大幅に注文を減らして蒸溜所のキャッシュフローを枯渇させ、売却に追い込んで底値で買い叩くという策略が進行する。

だが幸運なことに、デルメ=エヴァンズには別口で好条件のオファーを受け取った。そして1953年、グラスゴーのウイスキー商兼ブレンド業者であるブロディヘプバーン社が買収を完了することになる。

 

10年の沈黙を経て復活

 

それから20年も経たない1971年、ブロディヘプバーン社はインバーゴードン・ディスティラーズ社によって買収。インバーゴードンは、1973年の改修事業で蒸溜所に1対のポットスチルを追加した。

ハイランド南部のブラックフォード村は名水の宝庫として知られる場所。恵まれた環境から良質なウイスキーがつくられる。

だが1993年には、同社もまた敵対的買収の対象となる。インバーゴードンがホワイト&マッカイに買収されると、タリバーディンは不要資産とみなされて1994年に閉鎖されてしまった。蒸溜所は、その先10年間にわたって沈黙を余儀なくされたのである。

不幸な歴史がようやく終わったのは2003年のこと。マイク・ビーミッシュとダグ・ロスが率いる個人投資家のグループが、ホワイト&マッカイからタリバーディンを110万ポンドで購入したのだ。

この購入は1,000万ポンド規模の再開発計画とセットになっており、隣接地には約5,200平米のショップ施設も追加される予定だった。土地は不動産開発会社に売却されたが、ショップの投資計画は残念ながら頓挫。ここ近年まで空き地となっていて、殺風景な印象を与えていた。

2011年、タリバーディンはフランスの有名な飲料グループであるメゾン・ミッシェル・ピカールの子会社、テロワール・ディスティラーズに買収された。

小規模なワイン商として出発したミッシェル・ピカールは、父親が始めたばかりの事業を引き継いでワイン畑やボトリング施設に投資しながら成長してきた。現在も家族経営で、3代目がスーパーマーケット向けに自社レーベルのパスティスを生産し、それを足がかりに他のスピリッツへも参入を始めた。やがてフランス市場で自社レーベルのスコッチウイスキーを取り扱うようになり、2008年にグレンモーレンジィ・カンパニーから「ハイランドクイーン」や「ミュアヘッド」の銘柄を買収している。

当初は熟成済みの原酒を購入してウイスキーを販売していたテロワール・ディスティラーズだが、すぐにタリバーディンを始めとする自社傘下の蒸溜所でウイスキーの樽詰めをスタート。将来にわたって確実にウイスキーを供給するため、ブラックフォード村は今や重要な拠点となっているのである。

(つづく)

 

 

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