湧水に恵まれた鳥海山麓から、山形県初の本格的なシングルモルトウイスキーが生まれる。開業間もない遊佐蒸溜所を訪ねる2回シリーズ。

文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン

 

新しい蒸溜所の誕生といえば、何かと感動的な逸話が付き物だ。行動を促すような啓示や、運命の出会い。壮大な野望への挑戦や、不可能だと思われていた夢の実現。失われた過去を再現するケースもあるだろう。市場の関心を引くためには、人々の心に響く物語が必要だと思われている。

発酵槽の様子をチェックする金龍の佐々木雅晴社長。ベイマツで製造した国産の発酵槽が5槽ある。

ここに日本でもっとも新しいウイスキー蒸溜所を運営する人物がいる。株式会社金龍の佐々木雅晴社長だ。真新しい遊佐蒸溜所で私たちを出迎えると、彼はまず「感動的な裏話なんてありませんからね」と釘を差した。「創業の物語を作ろう」と善意から進言する者もいたが、佐々木社長は事実だけを語りたい実直な人である。その事実とは、企業のシンプルな生き残りの物語であった。

遊佐蒸溜所を運営する株式会社金龍は、1950年に山形県酒田市で創業した。県内の日本酒メーカー9社による合弁事業で、いわゆる醸造用アルコールと呼ばれるニュートラルスピリッツを生産する会社である。醸造用アルコールは、日本酒の品質調整や増量のために加えられる低コスト原料だ。やがて金龍は、連続蒸溜機でつくる甲類焼酎も生産するようになった。原料はモラセスが中心である。

金龍は山形唯一の焼酎専門メーカーであると同時に、山形県内の酒造メーカーを得意先としている。目下の問題は、焼酎や日本酒の全体的な消費量がここ数十年で下降していること。だがもっと深刻な下降線は人口だ。今から30年後、山形県の人口は30%以上減少するといわれている。これは日本平均の2倍にあたる減少率であり、10〜20年後には会社が危機的な状況に陥ることが誰の目にも明らかだった。佐々木社長は語る。

「いま動かなければ、いずれ手遅れになる。20年後に手を打つのではなく、まだ時間があるうちに動き出そう。そんな判断から、ウイスキーづくりが思い浮かびました」

 

ウイスキーづくりの理想郷

 

明るい未来への道を探る金龍の佐々木社長が、ウイスキーづくりに関心を持ったことに驚きはない。

「ウイスキーへの参入を検討し始めたのは2年前のことです。でも事を急ぐつもりはありませんでした。笹の川酒造、ベンチャーウイスキー、ガイアフローなどの小規模メーカーを見れば、ウイスキーづくりがもはや大企業独占の分野でないことは証明されています。いろいろな人に話をうかがって、日本のクラフト蒸溜所の実情なども理解した上で、ウイスキーづくりを始めるのが正しい道であるという確信を強めました」

そして2017年2月、フォーサイス社を視察するためにスコットランドを訪問。プロジェクトは本格的に動き出した。

田園の中に建てられた遊佐蒸溜所。湧き水が豊富な鳥海山麓は、ウイスキーづくりにぴったりの土地である。

金龍のチームは、1年がかりで蒸溜所の建設地を探した。候補地は10箇所にも上ったが、最終的に鳥海山麓にある遊佐町の物件がすべての必要条件を満たしていた。鳥海山は日本の山で最大の降水量があり、良質な湧水には事欠かない。周囲の広大な田園風景を見れば、この地域の水の豊かさは一目瞭然だ。

「生産業務には1時間あたり約22,000Lの水が必要ですが、ここでは苦もなく1時間あたり約50,000Lの水が手に入ります。質量ともに、水の心配はまったくありませんでした」

建設地は、周囲の景観の美しさも重視された。鳥海山は見る角度によって姿を大きく変える山である。遊佐蒸溜所の蒸溜棟からは、大窓越しに鳥海山が見える。その美しい双峰は蒸溜所のロゴにも表現された。映画ファンなら、見覚えがある風景かもしれない。アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと』(2008年)にも、蒸溜所の近所で撮影された美しい鳥海山が登場する。

「イヌワシのつがいが2組いて、頂上付近を滑空しているのがよく目撃されています。残念ながら、私はまだ見たことがありませんけどね」

佐々木社長はそう言って、建設地の話に戻る。

「もちろん実用性も重要でした。ここなら道路が整備されているのでトラックのアクセスも容易で、必要な電力も得られます。蒸溜で生じる副産物の廃液は、銅の含有率を無害な水準にまで下げてから下水システムに排出できます。インフラを考えても、ここは生産の負担が軽減できる環境だと判断しました」

 

全員初心者のチームで出発

 

蒸溜所設備の発注先も悩みどころだ。検討の結果、金龍はスコットランドのフォーサイス社で行くことに決めた。国産の三宅製作所も有力候補だが、ここでも佐々木社長は実利を優先した。

「三宅製作所さんは、いわばプロ向けなんです。設置が終われば、すぐに帰られてしまう印象でした。設備の使い方を理解している会社ならそれでもいいのですが、私たちは違います。金龍にはフォーサイス社が向いていると思ったのは、設置後も丁寧に使い方を教えてくれて、新参メーカーに必要なサポートを惜しみなく与えてくれるからです」

単式蒸溜器(ポットスチル)が酒田港に到着したのは6月29日のこと。通関手続きは7月4日に完了し、その2日後には蒸溜所の建物内に設備を運び込んだ。その後、フォーサイスから派遣されたサポートチームが、暑い真夏の3ヶ月間(7〜9月)を丸ごと使って開業準備を進めた。佐々木社長が振り返る。

「フォーサイスからは、最多で11人が来てくれたこともありました。普段も4人くらいが現場で働いてくれましたね」

蒸溜担当の齋藤美帆さんが初溜釜の温度を調整中。設備を納入したスコットランドのフォーサイス社が、何ヶ月も現地に滞在してあらゆるノウハウを伝授した。

そして9月27日、遊佐蒸溜所は管轄する酒田税務署からウイスキー製造免許を受けた。1年半の準備期間と約7億円の資金(主に蒸溜所の建物費と設備の購入費)を費やした金龍のウイスキー事業は、新しい冒険にようやく第一歩を踏み出したのである。

「10月前半はフォーサイスのチームがずっと付き添って、蒸溜所を軌道に乗せてくれました。試験蒸溜は10月13日に始まりましたが、公式な初蒸溜は11月5日です」
初年度のシーズン開始から10日経ったが、今のところ業務は滞りもない。4人の従業員全員が完全な初心者であることを忘れさせるほどだ。

佐々木社長が任命したチームは、糖化担当の岡田汐音さん、蒸溜担当の齋藤美帆さん、貯蔵庫担当の佐藤紘治さんという驚くほど若いメンバーで構成されている。岡田さんと齋藤さんは大学を卒業したばかり。佐藤さんは32歳で、務めていた銀行を辞めてウイスキーづくりの夢に飛び込んだ。佐々木社長がこの人選について説明する。

「専門家やベテランを招聘するつもりはありませんでした。ベテランに任せると、蒸溜所がその人の色に染まってしまいますからね。意欲のある若い人たちの力でゼロからスタートを切れば、そこから遊佐蒸溜所らしさが生まれてくると思ったのです」

ウイスキーづくりを実地で学ぶため、埼玉と福島の同業者を頼ることにした。生産チームの2人が3月に秩父蒸溜所で1週間の視察と研修をおこない、岡田さんは7月に安積蒸溜所に3日間滞在しながら実務を学んでいる。
(つづく)