世界の高地で、ユニークなウイスキーづくりを実践する蒸溜所をご紹介。スコットランド、日本、アメリカ、スイスの山々に分け入ってみよう。

文:マット・ストリックランド

 

減圧蒸溜を採用すると、風味成分の分離がより簡単に制御できるようになる。蒸溜者が細心の注意を払って、慎重にスピリットスチルを運用してさえいれば、理論的にはメタノールなどの揮発性の高い成分をより簡単に分離できる。高濃度のメタノールは人体に有害な物質として知られているが、ごく少量のメタノールはさまざまなエステルを生成する前駆体としても機能する。

これらのエステルの中で、最も重要なのが酢酸エチルだ。ウイスキーに溶剤のような香りを加え、量によっては軽やかなフルーツ香にもなる。バーボンのようなウイスキーでは、この酢酸エチルが好ましく作用することが多い。だが他のスタイルでは、最終的なウイスキーのバランスが崩れるリスクもある。

甲斐駒ヶ岳の山麓にある白州蒸溜所は、豊富な清流にも恵まれた山岳蒸溜所(メイン写真も)。日本の高地蒸溜所は、日本アルプス周辺に点在している。

変化を引き起こすのは、気圧の低さだけではない。沸点が下がるということは、蒸溜時の熱も下がるということだ。この熱の低下が、フルフラールを始めとする重い香味の生成を抑制し、最終的なスピリッツに持ち込まれにくくなる。芳香族アルデヒドのフルフラールは、ウイスキーをはじめとするさまざまなスピリッツに含まれる。しばしば「パンやキャラメルのような香り」と表現されるフレーバー成分だ。

そのような効果を狙って、高地で錬金術のようなウイスキーづくりを実践する蒸溜所は決して多くない。それでも注目すべき例は本場スコットランドにもある。海抜350メートルでスピリッツを蒸溜するダルウィニー蒸溜所のウイスキー、ハチミツのような甘みが心地よい。だが世界を見渡してみれば、さらに高い場所でつくられるウイスキーはまだまだある。

2011年に閉鎖されてしまったが、軽井沢蒸溜所の標高は850mだった。閉鎖後もオークションで数々の記録を打ち立てたウイスキーは、豊かな果実味を備えたエレガントな酒質で知られている。また中央アルプスの麓にあるマルス信州蒸溜所は標高約800m。フローラルでリッチな酒質はニュアンスに富んでおり、繊細なフルーツ香を備えている。

サントリー白州蒸溜所も、甲斐駒ヶ岳の麓にあたる海抜700mの地に建っている。高地でつくられた精緻なウイスキーは、見事なまでのバランスが持ち味だ。標高がウイスキーに与える影響について、サントリーの関係者に尋ねてみた。すると白州蒸溜所から、次のような回答が返ってきた。

「意図的に標高の高い場所を探していたわけではなく、もともとある山崎蒸溜所とは異なったタイプのモルトウイスキーをつくろうと考えていました。そして良質な水と豊かな自然に恵まれた環境を探した結果、南アルプス山麓に白羽の矢が立ったのです。一般的に、標高が高いと年間を通して気温が低く、冷涼な気候のために樽材からの成分抽出量が少なくなります。そのため、白州では熟成がゆっくり進むと考えられています」

面白いことに、サントリーは無重力状態が熟成に及ぼす影響を見極めるため、ウイスキーを宇宙空間にまで送り込んだこともある。数字だけ見れば、宇宙も確かに高地の一種といえるだろう。だが地球を脱出してしまう前に、地上の高地をもう少し探検してみよう。
 

ロッキー山脈からヨーロッパアルプスへ

 
日本から太平洋を渡ってアメリカへ。バーボンとライウイスキーで有名な国だ。北米最大の高地であるロッキー山脈をドライブすれば、ウィンタースポーツのメッカを通り過ぎる。そしてこんな美しい景色の中に、ウイスキーの蒸溜所もあるのだ。

ロッキー山脈の近くで特に標高が高い蒸溜所といえば、コロラド州ブレッケンリッジにあるブレッケンリッジ蒸溜所。2008年にブライアン・ノルトが設立した新興メーカーだ。海抜2,920メートルという立地は、ひとまず世界有数の高地にあるウイスキー蒸溜所と言っていいだろう。

コロラド州ブレッケンリッジはロッキー山脈の広大な裾野にある。海抜2,920メートルのブレッケンリッジ蒸溜所は、北米でもっとも高い場所にあるアメリカンウイスキーの生産者だ。

ブリッケンリッジは、ブレンデッドバーボンという特殊な製品に力を注いでいる。トウモロコシ56%、ライ麦38%、大麦モルト6%というライ比率の高いマッシュを独自に開発し、チャーを施したオーク新樽で2~3年間熟成させるのが定番の工程だ。

熟成されたウイスキーは、テネシー、ケンタッキー、インディアナの高品質なバーボンとブレンドされる。こうすることで、よりまろやかで複雑な味わいに仕上がるというのだ。ブレッケンリッジ創業者のブライアン・ノルトは、次のように説明する。

「物理学の観点からいえば、気圧が低い高地での蒸溜は、平地よりも少ないエネルギーで液体が気化するので効率がいい。ブレッケンリッジでは、加熱用のスチームが少なくて済むのでエネルギーが節約でき、天然ガスの使用量も減らしています」

エネルギーの投入量だけでなく、カットのタイミングも異なってくる。初溜の途中でスピリッツセーフからハイワインを取り出してテイスティングすると、そのユニークな香りと味わいに誰もが驚きのだという。

「シロップのような甘さとグラハムクラッカーのような香ばしさがあります。アルコール度数69%でも、そのまま飲みたくなるほど魅惑的な味わいです」

ヨーロッパの山国といえば、スイスも忘れてはならない。銀行口座を開設して高級な腕時計やチョコレートを物色するだけでなく、ユニークなスイスウイスキーもぜひ試してみたい。

美しいヨーロッパアルプスの只中にあるオーマ蒸溜所。世界最高地でつくられるウイスキーは、気圧と香味のメカニズムを探る格好の実験場所でもある。

スイスのオーマ蒸溜所は、シングルモルトウイスキーを中心に。少量ながらジンも生産している小規模な生産者だ。海抜3,300メートルという標高はブレッケンリッジを上回っている。

日本アルプスよりも高い場所で、ウイスキーを蒸溜するのは実に興味深い試みだ。ここでつくられるスピリッツは、海抜0メートルの場所で同じように蒸溜されたスピリッツよりも芳香が強く、原料である穀物の特徴が保持されるのだという。オーマの共同創設者であるパスカル・ミットナーが説明する。

「海抜0メートルの場所より、沸点が10℃以上も低いんです。エタノールの沸点も約8℃低くなり、これが香味に大きな影響を与えます」

温度が低いことによって、より多くのフレーバーが生き残る。そしてより複雑なスピリッツに仕上がるのだとミットナーは言う。

「この標高で蒸溜を始めてからまだ2年も経っていないので、ウイスキーにどのような影響を与えるかは未知数の部分もあります。でもスピリッツに豊かなフレーバーが備わっているのは確かなので、熟成後もきっと大きな影響があると信じています」

上質なウイスキーやスピリッツの製造には、数々の変数が関わってくる。他のさまざまな因子と同様に、高度がウイスキーの香味に及ぼす効果もまだほとんど解明されていない。だが、このような謎こそがウイスキーの魅力でもある。未知の要素や変数があるからこそ、ウイスキーは神秘的で不思議な存在であり続けるのだ。

そしてこのような化学的、物理的、生物学的なメカニズムが解明されていっても、また新しい謎や神秘は次々に立ち上がってくるだろう。ウイスキーの魅力は尽きることがない。