ウイスキーの味わいは、スピリッツの風味と樽内の熟成によって決まる。この熟成された味わいを効率よく手に入れようと、さまざまな試みがなされてきた。自然の摂理を欺き、時計の針を一気に進めるマジックは可能なのか?

文:クリス・ミドルトン

 

長期間熟成されたウイスキーへの需要は、18世紀末に生まれたといわれている。1800年代初頭までに「オールドウイスキー」という言葉が流行語となり、オールドを標榜する数々のウイスキーブランドが19世紀を賑わした。この流れに乗って、一部の販売業者たちが熟成期間をごまかす工夫に取り組み始める。熟成の時間と手間を省くため、いかにも長期熟成を経たような風味や色を加え、母なる自然と父なる時間を欺こうと試行錯誤を始めたのである。

熟成を早める実験に手を染め、同じような試みを進めている同業者の実験作を味わっているうち、人々は熟成に関するさまざまな偏見を身に付けてしまう。このような技術は、それぞれに異なった形でウイスキーの風味に影響を及ぼしてきた。

彼らが目指したのは、複雑でバランスがよく、豊かな風味と長い余韻が自慢のウイスキーである。特定の風味を隠し、代替し、取り除き、逆にある種の風味を強調するアプローチが実験を通して採用された。このように操作されたウイスキーの風味構成は、他のお酒や味覚要素と組み合わせたカクテルなどの分野でも強みを発揮できた。

実のところ、風味を改変する試みはウイスキーが樽熟成と出会う以前からおこなわれていた。モルト原料の荒削りなスピリッツに、ハーブ、スパイス、甘味などを加えて、飲みやすさと健康効果も狙ったレシピは意外なほど古くから存在する。

ウイスキーが初めて「whisky」と英国風に綴られたのは1735年のことだが、その3年後の1738年にはもう初期の「熟成偽装レシピ」が登場している。クローブ、ナッツ、レーズン、ナツメグ、キャラウェー、アニス、砂糖などの添加物が活躍していたことを考えるに、当時のモルトスピリッツは木の風味ではなく他のスピリッツやリキュールで味付けされていた事実もうかがえる。

そして木樽による熟成が始まると、他の素材によって木樽由来の風味を代替するレシピも増え始めた。焦がした砂糖を入れて視覚的に熟成年を誇張したり、武夷岩茶やタバコで味わいに熟成感を加えたりした例もある。

当時のウイスキーは、クリーンなスピリッツであるほど正統であると考えられていた。不快な風味や有害物質を精溜によって取り除き、十分に精製された後でウイスキーの味を改善させるフレーバーを加えるのが正攻法とみなされたのである。1860年代までに、そのようなウイスキーの味を真似るための精溜法がいくつも考案されて実際に商品化されていた。

19世紀の北米で、もっとも普及していたスピリッツの精溜法がチャコールフィルター(木炭濾過)である。色付け用としてはサフラン、ビートルート、 コチニールなどが加えられた。一方、スコッチウイスキーやアイリッシュウイスキーの模造品にはクレオソート、ギニアペッパー、ブルーン果汁、シェリーなどが活躍。ライウイスキーにはヒメコウジ、アーモンドの苦味、シナモン、クローブ、茶葉、オーク材のおかくずなどが推奨された。またバーボンへの添加物としては、ペアシードオイルとモモのドライフルーツが有名だった。

 

ユニークな熟成偽装の数々

 

熟成感を強調するためのアイデアは、過去200年で何百種類も特許登録されてきた。電気を流したり、蒸気に触れさせたり、機械内で振動させたり、加圧したり、空気を混和させたり、樽内に螺旋状のスチーム管を通したり、貯蔵庫の温度を人為的に変化させたりといった試みも含まれる。なかにはブランデー業界やラム業界から拝借した技術もあった。ニューメイクに熱を加える「トランシャージュ」、オーク材のチップを煮たシロップを加える「ボアズ」、煮詰めたブドウ果汁と酒精強化ワインで古樽をシーズニングする「パグザレット」などがその例である。

このような工程は、後から多くの国で禁止された。しかし米国で禁酒法が廃止された1934年以降、一時的に古いウイスキーが品不足に陥るとまた新しいアイデアへの渇望が強まった。紫外線に当てたり、音波に晒したり(数時間で長期熟成の効果が得られると信じられた)、焦がした格子を樽に入れたり、酸素やオゾンを散布したり。あらゆる手法が試され、次々と特許登録がなされていった。

ニューヨークでは、1930年代半ばにフォスター・スネル氏がアイソトープ処理について研究している。1957年に原子爆弾の実験をおこなった後、米国では「ウイスキーにX線を照射すると雑味が取れて味がまろやかになる」との研究結果が発表された。オーストラリアのウイスキー蒸溜所でも、アイソトープを用いた実験が1961年におこなわれている。

英国でも、スコッチウイスキー業界の人々がX線照射の技術を手に入れようとウォンテージの町に押しかけたことがある。この町には原子力研究所の工場があったのだ。しかし実験はあえなく失敗し、フランケンシュタイン的な異形のウイスキーを生み出してしまう恐怖から、原子力熟成の道は閉ざされることになった。

木を使用した熟成加速法は、歴史的に効果が証明されたアプローチである。樽の内側を削って溝や凹凸を増やしたり、樽の中にオーク材のチップを入れたり、小さなサイズの樽で貯蔵したりするのは、今でもスタートアップの蒸溜所に人気の熟成法だ。

撹拌や音響にも根強い人気がある。貯蔵庫で音楽を流して、特定の周波数を樽に浴びせている蒸溜所も少なくない。1930年代、ペンシルベニア大学は音波実験から驚くべき結果を公表した。それは「ウイスキーに大音量の音楽を7時間聴かせると、樽内で4年熟成したのと同等の熟成効果が得られる」というものだ。

ウイスキーを樽内で撹拌する方法も、ブランデーやラムが船で交易されていた時代から実践されてきたアプローチだ。個人的に大好きなのは、米国東海岸のメリーランド州でウイスキーを蒸溜していた貴族、アウターブリッジ・ホーシー4世の手法である。彼は1886年から定期的に自分のライウイスキー「バーキッツビル」を樽詰めして船に乗せ、わざわざ南米のホーン岬を経由して西海岸のサンフランシスコまで送っていた。そしてサンフランシスコに着いたら、今度は大陸横断鉄道で樽を自身のニードウッド蒸溜所まで送り返してからボトリングしたのである。波に揺られながら南北回帰線を2回も通過し、鉄道でアメリカ大陸を横断したウイスキーの名は「ゴールデンゲートウイスキー」。長旅の揺れによって味はまろやかになり、プレミアム価格で販売することができたという。

ホーシー4世の例だけでなく、ウイスキーをキューバやリオデジャネイロの航路で往復させている蒸溜所は他にもいくつかあった。1930年代には「キングスランサム」を生産していたエドラダワーが、クルーズ船の底荷としてウイスキー樽を積んで航行してもらい、同様の熟成効果を得ていた。その上で自社のブレンデッドスコッチウイスキーを「世界一周ウイスキー」として宣伝したのである。

最近でも、アメリカのバーボン「ジェファーソンズ」とオーストラリアのウイスキー「スターワード」がプロモーションの一環として樽を船旅に出している。これもまた父なる時間を欺くための大いなる策略であろう。