原料から自前で生産することにこだわるアメリカの農場蒸溜所。最終回は、ニューヨーク、モンタナ、インディアナ、アーカンソーを飛び回る。

文:アンドリュー・フォークナー

 

家族経営で有機栽培した穀物からウイスキーをつくっている蒸溜家は他にもいる。その一人がジョー・マイヤーだ。マイヤー家は1810年にニューヨーク州オーヴィッドに居を構え、1868年に農場を現在の場所に移転した。5代目に代替わりをしたのは1970年代のことで、ちょうどコーネル大学を卒業したばかりのジョン・マイヤー(ジョー・マイヤーの兄)が跡継ぎになった。除草剤と殺虫剤による悪影響に気づいたジョンは、有機栽培の農場を運営することで環境保護にも貢献できると判断。そして農場全体を有機化し、米国北東部でも最初期に有機認定を受けた農場として再出発したのである。

ジョー・マイヤーは現代におけるルネッサンスを体現したような人物だ。ピアノ教師だった母の手引きによりスズキ・メソードでバイオリンを学び、ピアノとバイオリンの演奏で学位を取得した。ボストンに移住してからは何冊もの詩集を出版し、描いた油絵はニューヨークとボストンの有名画廊で販売された。だが最終的には、望郷の念に突き動かされて農場に戻ってきたのだという。

「畑が本当に恋しくなったんです。真夜中に畑の真ん中に立って、満天の星をただ眺めていたい。そんな願いは、ケンブリッジ大学に行っても叶えられないだろうとわかっていましたから」

ジョンとジョーの兄弟は、2012年にマイヤー・ファーム・ディスティラーズを設立。ハイウェイ89号沿いにある農場の一角に蒸溜所を建設した。農場はカユガ湖を見下ろす場所にある。蒸溜所では、ジン、ウォッカ、リキュールなど21種類のスピリッツを生産しているが、そのうち11種類がさまざまな原料を使用したウイスキーである。ジョーが説明する。

「この畑の中を歩き、作物を育てた経験から、ウイスキーが生み出される土地のことは知り尽くしています。粘土質で軽石が多い地質のこともわかっているし、植付、栽培、収穫というサイクルについても理解できています。そうやって、この大地から育った穀物でスピリッツをつくると、まるで大地からの贈り物をいただいたような気持ちになります。それは呼吸のように自然な感覚なんです」

 

乾燥地域なのに肥沃なドライ・ヒルズの大地

 

同様に大地との関係を重視しているウイスキーメーカーが、モンタナ州ボーズマンでドロージ家が運営するドライ・ヒルズ・ディスティリングだ。ドライ・ヒルズは、1905年に当代の高祖父ジェイコブ・ドロージが移り住んだ土地の名前である。

ドライ・ヒルズ・ディスティリングを妻エリカと一緒に運営するジェフ・ドロージ。メイン写真は、芸術家から転じて農場蒸溜所の人生を選んだジョー・マイヤー(マイヤー・ファーム・ディスティラーズ)。

ジェイコブ・ドロージがこのドライ・ヒルズを選んだのは、年間平均降雨量が500mmしかない地域にあって肥沃な土壌が広がっていたからだ。ドロージ農場、ロンドンヒルズ農場という2つの農場にまたがって、5代目にあたるドロージ家の当代は約8,000エーカー(32平方キロメートル)の大地でジャガイモや穀物を栽培している。

蒸溜所としてのモットーは「栽培なくして製造なし」(If we don’t grow it、we don’t make it)だ。妻のエリカとともに蒸溜所を運営するジェフ・ドロージが語る。

「作物を育てることで、大地との細やかで親密な関係が築けていけるものと本気で信じています。だからこそ蒸溜所における決断の多くは、私たちが栽培した原材料たる穀物からの学びによって左右されます。この地域で育つ穀物には特有の品質があり、それが私たちのスピリッツに影響を与えていることは疑いもありません」

モンタナ州は湿度が低いため、樽材に使用されているオーク材との相互作用がかなりスピーディーに進行する。ドロージによると、樽内の水分が蒸発する「天使の分け前」もかなりの分量に上るのだという。

「この作用によって、熟成後のアルコール度数(カスクストレングス)は他の地域よりもかなり高くなります。湿度が高めで安定している中西部や南部に比べると、それほど早く蒸発が進むのです」

 

インディアナ州スターライトでの多角経営

 

スターライト蒸溜所のクリスチャン・ヒューバーは、農家兼蒸溜家の7代目にあたる。大地の恵みと蒸溜所の方針を深く関連付けている。

「私たちは農業を営んでおり、さらにアルコールを生産しています。だからアルコール飲料をつくる際も、あらゆる面で農業を中心に置いて考えているのです」

インディアナ州スターライトにあるヒューバーズ・オーチャード&ワイナリーの敷地内には、ヒューバー家が1843年に移り住んだ家と蒸溜所がある。第7世代にあたる5人の家族は、受け継いできた事業をさまざまな方向に変換させている最中だ。農場経営、農産物市場、チーズ製造、有機アイスクリーム販売、レストラン、宴会場、ハロウィン用カボチャ販売、クリスマスツリー用の森林農場、ワイナリー、蒸溜所、フルーツ狩り用の果樹園などだ。

ヒューバー家はワインとブランデーをつくってきたが、禁酒法時代には休業を余儀なくされた。だがクリスチャン・ヒューバーの祖父が、ワイナリーを復興したのだという。そして息子(クリスチャン・ヒューバーの父)であるテッド・ヒューバーは、州の酒税法改正に一役買った。史上初めて、果実酒からブランデーを蒸溜するスピリッツ製造の合法化を成し遂げたのである。その後には、穀物をウイスキーに蒸溜することも認可され、最終的にこのような蒸溜酒を一般消費者に直販することも認められた。

スターライト蒸溜所はレッドコーン、ホワイトコーン、ブルーコーンを原料にしてバーボンをつくっている。ヒューバー家は、樽熟成したウイスキーの品質に前年同様の一貫性を求めていない。毎年収穫したさまざまな品種の穀物を株単位で選び、農場内の区画ごとに作物を分けて微気候がもたらす小さな違いにも着目し、貯蔵庫に置いた場所も勘案しながら使用する原酒を決める。

クリスチャンの弟にあたるブレイク・ヒューバーは、収穫された穀物、糖化後のマッシュ、発酵後のウォッシュ、蒸溜後のスピリッツを注視しながら商品をつくる。その方針は単純明快だ。

「その日にできる最良のウイスキーをつくる。それが私たちの方針です」

 

密造でチャンスをつかんだデルタ・ダート

 

ヒューバー家の兄弟は家業の転換によってワイナリーやスピリッツの生産を始めた例であるが、アーカンソー州ヘレナ郊外には親世代が創設した蒸溜所を継いだ兄弟がいる。トーマス・ウィリアムズとドノヴァン・ウィリアムズが経営するデルタ・ダート蒸溜所だ。蒸溜所を創設したのは、彼らの両親であるハーヴェイ・ウィリアムズとダナ・ウィリアムズだ。

デルタ・ダート蒸溜所は、2017年に設立された。建物の改修が2018年に始まり、2020年からスピリッツの蒸溜を開始している。だがコロナ禍のせいで、蒸溜所とテイスティングルームが一般公開されたのは2021年になってからだ。

アーカンソー州ヘレナでデルタ・ダート蒸溜所を営むトーマス・ウィリアムズ。禁酒法時代から続くウイスキーづくりを町おこしのモデルにするのが目標だ。

ウィリアムズ家は、現在の農場を所有する前からこの大地とともに生きていた。なぜなら兄弟の祖父と曽祖父は分益小作人として農地を借り受け、綿花の収穫を地主に上納していたからだ。

ある時、兄弟の曽祖父は機転を利かせて作物を変更し、綿花よりも高収入が見込める穀物を栽培し始めた。蒸溜酒づくりで高収入が得られたのは、それが禁酒法下の密造酒だったからである。首尾よく短期間でまとまった収入を得ると、自分が耕していた農地を購入。ついに貧しい小作人の人生を抜け出したのだ。

農地を購入してすぐに密造酒づくりは中止し、兄弟の祖父(最近逝去したばかり)がサツマイモ畑に転換した。このサツマイモから、デルタ・ダート蒸溜所は「スウィート・ブレンド・ウォッカ」を生産している。また叔父が栽培するコーンから、ジンとウイスキーのベーススピリッツをつくる。ウイスキーづくりはまだ始まったばかりなので、最初の熟成が完了するのは2024年の見込みだ。

デルタ・ダート蒸溜所は、ヘレナのダウンタウンを走るチェリー通り沿いにある。ヘレナの町は寂れているが、ウィリアムズ家は自分たちのビジネスを成功させて、他の起業家たちを刺激する事例になりたいと考えている。かつて栄えていた町に活気を呼び戻し、近郊のテネシー州メンフィスから週末に来訪者を惹き寄せるのが目標なのだとトーマスは語る。

「ヘレナに人を呼び戻す媒介になりたいと願っています。みんなが、『なんだ、ヘレナにも希望はあるじゃないか』と思えるような実績を作りたい。チェリー通りでも事業はできるし、過去の栄華を呼び戻すこともできるはず。自分の土地や建物を持ち、復興の資源になる材料はたくさんあるから。ここで何かを成し遂げたいし、そうしなければならないと思っています」

1970年代には、「Back to the Land」(大地へ還ろう)というムーブメントで自給自足の生活を目指した若者たちがいた。だが都市生活者が激増した20世紀にあって、都会から田舎に移り住んで大地を耕した人々はあくまで少数派だった。

それでも最近の農場蒸溜所を運営する人々に会うと、そこには脈々と続くアメリカの歴史を感じる。開拓時代に先祖が手にした大地を今も大切にする事業者たち。そこにはアメリカ建国以来の伝統を、どんな分野や期間よりも根強く体現する農家の原型があるのだ。