ウイスキーの殿堂「ホール・オブ・フェイム」2021年度表彰者発表

April 1, 2021


ウイスキーマガジンアワードの一環として2004年にスタートし、今回で19回目を迎える「ホール・オブ・フェイム」。このたび5人の功労者が新たに殿堂入りを果たした。その素晴らしい功績をプロフィールとともにご紹介。

 

フレッド・ノウ

(ジムビーム/マスターディスティラー)

ジム・ビームの曾孫にあたる7代目マスターディスティラー。父はフレデリック・”ブッカー”・ノウ・ジュニア。フレッド・ノウ3世ことフレッド・ノウは、ウイスキーづくりの専門技術をさらに洗練させ、業界内で真のトップクラスと呼ぶべき境地にまで押し上げた。この功績によってウイスキーの歴史に名を残し、ウイスキーマガジンが主宰する「ホール・オブ・フェイム」に殿堂入り(69人目)が決まった。

本名はフレデリック・ブッカー・ノウ・ザ・サード(3世)。1957年3月9日にケンタッキー州バーズタウンで生まれ、幼少期は曽祖父と同じ家で育った。

フレッドの人生は、最初からウイスキー文化に染まっていた。1983年にベラーマイン大学を卒業すると、ジムビーム・クレアモント蒸溜所のボトリングラインで働き始める。このときから、抜かりのない実父の監督のもとで、バーボンづくりに関するあらゆる深遠な知識を吸収した。この知識の積み重ねが、その後の長いキャリアの土台となり、2003年からはジムビームのマスターディスティラーに昇格している。

ジムビームではチーフ・バーボン・アンバサダーの役割を担うことで、複雑なバーボン業界の中でも特に有名な人物として幅広く知られるようになった。また業界を代表して発言する機会が増えると、聴衆を楽しませる話術にも磨きをかけた。バーボン界のスポークスマンとして、ジムビームの名を世界に知らしめたのもフレッド・ノウの実績である。

過去18年にわたり、フレッドは一貫してブランドのポートフォリオ拡充に力を注いできた。今でもビームブランドの重責を担い、家業であるバーボン生産に人生を捧げている。このバーボンづくりのプロセスをしっかりと守り、ジムビームの伝統を守ることがフレッドの生きがいである。
 

 

アンディ・ワッツ

(ディステル・グループ/ウイスキー部門代表)

アンディ・ワッツはイングランドのヨークシャー州ペニストーンで育ち、1982年にクリケットのプロ選手(ダービーシャー・カウンティ・クリケット・クラブ)として南アフリカへ渡った。その3年後には、ステレンボッシュ・ファーマーズ・ワイナリー(SFW)に職を得て、スピリッツのブレンディングに関わるようになった。その後、モリソン・ボウモア社の招きでスコットランドに移り、傘下の蒸溜所3軒(オーヘントッシャン、グレンギリー、ボウモア)でウイスキーづくりの現場を学ぶ。やがて南アフリカに戻ってSFWに復職すると、同社が育成中のウイスキー生産を管轄することになった。職場はステレンボッシュのR&B蒸溜所と、ウェリントンのジェームズ・セジウィック蒸溜所である。1991年の秋にはウイスキー生産部長に任命され、後にディステルのウイスキー部門全体を統括するようになった。同社は1886年からウイスキーづくりを始めていたが、ウイスキー生産部長はアンディでわずか6人目だったという。

アンディは南アフリカで初めてとなる数々の改革を断行し、南アフリカ産ウイスキーを世界市場に送り込んだ。「スリーシップス」ブランドの創設、南アフリカ初のシングルモルト、南アフリカ初となる現地産材料100%のブレンデッドウイスキー、南アフリカ初のシングルグレーンウイスキーなどの偉業は、どれもアンディの功績である。「スリーシップス 5年 オールドプレミアムセレクト」は2012年にワールド・ウイスキー・アワード(WWA)のワールドベスト・ブレンデッドウイスキー部門世界最高賞を受賞し、「ベインズ・ケープマウンテン・ウイスキー」が2013年と2018m年にワールドベスト・グレーンウイスキー部門世界最高賞を受賞している。

ジェームズ・セジウィック蒸溜所で25年間にわたって蒸溜所長を務めた後、アンディは2018年よりディステルのウイスキー部門代表となった。現在は南アフリカ産ウイスキーのポートフォリオ拡充という重責を担い、生産工程や品質の改善に努めながらウイスキーのスタイルを洗練させ、戦略的な経営方針を提案する立場にある。
 

 

ビリー・ウォーカー

(グレンアラヒー・ディスティラーズ・カンパニー/マスターディスティラー)

ビリー・ウォーカーは、バランタインの故郷であるダンバートンで1946年に生まれた。グラスゴー大学で化学を学び、理学士と優等学士の学位を修めて1967年に卒業。化学者として4年間働いた後、1974年からバランタインズ・スコッチウイスキー・カンパニーで生産関連の幅広い役割を担った。

やがてビリーは、1976年にインバーハウス・ディスティラーズに移籍してマスターブレンダーとなり、多数の商品開発に関わる。そして1983年にはバーン・スチュワート・ディスティラーズにマスターブレンダー兼オペレーションズディレクターとして入社。チームの中心となってウイスキーをつくりながら、1988年には経営陣買収に関わって経営権を手に入れた。共にシングルモルトウイスキーの蒸溜所であるディーンストン蒸溜所とトバモリー蒸溜所を買収し、再興させるプロジェクトを主導していたのもビリーである。同時期には効率的なボトリング施設も創設した。

2004年には、ベンリアック蒸溜所の買収を主導して、ベンリアック・ディスティラリー・カンパニーを設立。その後の12年間にわたってベンリアック、グレンドロナック、グレングラッサの各蒸溜所を再興した。有名とは言い難かった3軒の蒸溜所から、驚くほど多彩な幅広いウイスキーをつくり出して市場に送ったのはビリーの功績である。2016年4月には、ベンリアック・ディスティラリー・カンパニーがブラウン・フォーマンに売却されることになった。

2017年10月、ビリーは旧知のトリシャ・サベージ、グレアム・スティーブンソンと共にグレンアラヒー蒸溜所を買収。2018年7月に最初のコアレンジ商品である「グレンアラヒー シングルモルトスコッチウイスキー」が発売されて大好評を博した。ほぼ50年間にわたってウイスキー業界で働いてきたビリーは、スコッチウイスキーの世界で最も高く評価されている人物の一人であり、世界を代表するマスターブレンダーとして国際的な称賛を集めている。
 

 

アンドリュー・シミントン

(シグナトリー・ヴィンテージスコッチウイスキーおよびエドラダワー/マネージングディレクター)

アンドリュー・シミントンがシングルモルトの魅力に気付いたのは、1980年代にエディンバラのプレストンフィールドハウスホテルで働いていた時期だったという。同じシングルモルトでも、とりわけシングルカスクの商品に大きな関心を抱くことになった。当時のプレストンフィールドはエディンバラ屈指の豪華なイベント会場で、有名なウイスキー会社が数々のイベントを開催していたのである。

この興味が高じたアンドリューは、1988年にシグナトリー・ヴィンテージスコッチウイスキー社を設立。ボトリング用に最初のカスクを購入した。1990年代前半までには上質なウイスキーを発売する独立系ボトラーとして確固たる評判を獲得し、特にベンウィヴィスやグレンフラグラーなどの閉鎖された蒸溜所から入手した希少なスピリッツが高く評価された。

2002年、アンドリューはピトロクリーにあるエドラダワー蒸溜所をペルノ・リカールから購入。スコットランド最小の蒸溜所ともいわれるエドラダワーのウイスキーづくりを指揮するようになった。2003年にはエドラダワーで初めてピーテッドモルトを原料にしたウイスキーの生産も開始し、かつてパースシャーにあった農場蒸溜所の名にちなんで「バレッヒェン」と名付けた。2007年には、シグナトリー社の業務をエディンバラからエドラダワー蒸溜所の所在地に移転。2010年にはダンネージ式の貯蔵庫を新築し、2017年にはエドラダワー第2蒸溜所の建設を完成させた。ラック式の貯蔵庫には20,000本の樽が格納できる。

現在は、アンドリューのパートナーであるアネットがビジターセンターを運営。2人の息子であるアンドリュー・ジュニア(16歳)とクリストファー(10歳)にも、いつか事業を継いでほしいと願っている。シグナトリーは世界屈指の独立系ボトラーとして高い評価を維持しており、それに加えてエドラダワー蒸溜所の人気も高まってきた。蒸溜所の再興に成功したことで、今やアンドリューはウイスキー業界でも有数の起業家精神を持ったエキスパートとして称賛を集めている。
 

 

ブレンダン・バックリー

(アイリッシュ・ディスティラーズ/インターナショナルマーケティングディレクター)

アイリッシュ・ディスティラーズのポートフォリオを拡充しながら、アイリッシュウイスキーのマーケティングとイノベーションを約20年にわたって担ってきたブレンダン・バックリー。そのブランドづくりのアプローチは、アイリッシュウイスキー復興の中心的な役割を果たしてきた。アイリッシュ・ディスティラーズでは、さまざまなマーケティングの責任者を経て、現在はインターナショナルマーケティングディレクター。ブレンダンは自身を「たまたまマーケティングの世界で働いている1人のウイスキーファン」であると説明している。

アイリッシュウイスキーの復活を象徴するブランドといえばジェムソンだ。ここ20年でジェムソンを世界有数のスピリッツブランドに育てた功労者はたくさんいるが、ブレンダンは特に大きな影響力を発揮してきた一人である。またブレンダンは、シングルポットスチルというアイリッシュウイスキーのカテゴリーを復活させた立役者だ。2011年、ブレンダンはこのユニークなアイリッシュウイスキーのスタイルを復興すべく、バリー・クロケット、デイブ・クイン、ビリー・ライトンらミドルトン蒸溜所の同僚たちと力を合わせた。それ以来、シングルポットスチルのカテゴリーを再興しようというブレンダンの情熱はさらに高まり、新商品が大々的に発売されてきた。「パワーズ ジョンズレーン」「ミドルトン バリー・クロケット・レガシー」「レッドブレスト ルスタウ・エディション」「レッドブレスト27年」などに加え、歴史的な「イエロースポット」「レッドスポット」「ブルースポット」をリリースすることで、世界のウイスキー市場に新しいトレンドを造成。風味豊かなシングルポットスチルへの関心を大いに掻き立てたのだ。

イノベーションの分野でいえば、新ブランド「メソッド&マッドネス」の誕生を主導したのもブレンダンである。実験的な生産方式とブランディングの双方で注目を浴び、これまでの常識を覆すようなウイスキーとジンのラインナップを揃えた。「メソッド&マッドネス」は、アイルランド産スピリッツの限界を押し広げる画期的なブランドである。また世界でもっとも愛されるアイリッシュウイスキーというポジショニングを強化するため、ブレンダンはジェムソンの商品ラインナップも拡大した。「ジェムソン トリプルトリプル」「ジェムソン コールドブリュー」そしてカスクメイツシリーズなどで革新的な味わいを表現し、より幅広いファンにアピールする戦略を成功させている。
 

2004年に創設されたウイスキーの殿堂「ホール・オブ・フェイム」の全表彰者はこちらから。

 

 

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