スコッチウイスキーの歴史を振り返ると、どん底の時代として記憶されるのが1983年だ。しかし暗黒時代のおかげで、今日も高く評価されるブランドもある。

文:ティス・クラバースティン

ウイスキー市場は、ここ数十年にわたって隆盛を極めている。以前は無名のカテゴリーだったシングルモルトも、スコッチ業界のドル箱へと著しい発展を遂げてきた。

今ではよく知られるようになったモルトウイスキー銘柄の中に、ウイスキーブーム以前の暗黒時代を思い起こさせるものもある。ポートエレンやブローラはその代表格だが、歴史を知る者にとっては皮肉なことだ。

やや知名度では劣るものの、セントマグダレン コンバルモア、バンフ、グレンモールなども過去の蒸溜所だが、依然としてウイスキーの評価は高い。ベンロマックとノックドゥーのように、閉鎖を余儀なくされたが、その後に操業を再開したので暗黒時代との関わりが言及されなくなった蒸溜所もある。

ローズバンク蒸溜所は1993年に生産を休止(メイン写真も)。置き去りにされた蒸溜所は荒廃するのみで、いつか復活の時が来ると期待する人もほとんどいなかった。

時計を40年前に戻してみよう。今はウイスキーの暗黒時代だ。原油価格が高騰し、世界的に景気が後退している。若い世代は褐色の蒸溜酒など時代遅れだと敬遠し、ウイスキーの人気は数年前から大きく低迷中。頑張って生産を続けていた蒸溜所も、やがて売上が減少して事態が負のスパイラルに向かっている。

そしてアバディーンの地方紙「プレス&ジャーナル」が、1983年2月17日号の1面で「スコッチ・オン・ロックス!」と見出しを打つ。ウイスキーのオンザロックに、スコッチ業界の座礁という意味をかけた表現だ。

すでに機能不全に陥っていたスコッチウイスキー業界が、ここに来て決定的な後退を余儀なくされる。ディアジオの前身であるディスティラーズ・カンパニー社(DCL)が、スコットランドで530人の解雇を決定したのだ。記事によると、同時に11軒のモルト蒸溜所とグレーン蒸溜所のカースブリッジも閉鎖されることになった。

このようなウイスキー蒸溜所の閉鎖は、一度に起こった訳でもない。スコッチウイスキー業界の衰退は1970年代から1990年代にかけて断続的に進行していった。例えばローズバンク蒸溜所が閉鎖されたのは、DCLが事業を整理した10年後の1993年である。

ウイスキー蒸溜所が閉鎖されると、所在地の地域社会は大きな影響を受ける。それでも当時は悲嘆するウイスキー愛飲家もさほど多くなかった。ポートエレンやブローラのシングルモルトウイスキーを好んで飲むマニアは少数派で、ジョニーウォーカーやホワイトホースが主流の時代だったからだ。同じDCLでもカリラやラガヴーリンは生産を継続していたので、大手のブレンデッドウイスキーがすぐに入手不能になる危険もなかった。

閉鎖された蒸溜所は、こうして静かに忘れ去られていった。沈黙を守っていた蒸溜所の遺産が解き放たれ、残されていたウイスキーに人々が注目するようになったのはずっと後のことだ。
 

脚光を浴び始めた閉鎖蒸溜所のウイスキー

 
長年のウイスキーコレクターでもあるスキンダー・シン(ザ・ウイスキー・エクスチェンジ共同設立者)は、このような運命をたどる蒸溜所に現役時代から関心を持っていたという。知名度は低くても、素晴らしい品質のウイスキーを生産している蒸溜所の存在をよく知っていたからだ。

そんなシンでさえ、ダラスデュー、ポートエレン、セントマグダレンなどのウイスキーはいつでも手に入るものだと考えていた。閉鎖から数年が経った1980年代後半でも、これらの蒸溜所のウイスキーは身近にあり、気軽にボトルを購入できていたのだという。

ブローラ蒸溜所もスコッチ大手のDCL(現ディアジオ)が1983年に休業を決定した生産拠点のひとつ。ウイスキーはすでに時代遅れのドリンクと考えられていたが、休業の38年後に奇跡的な復活を果たすことになる。

「閉鎖されたマイナーな蒸溜所でも、ウイスキーはずっと手の届くところにありました。でも自分の店でキンクレイスが売り切れ、ゴードン&マクファイル社に追加商品の注文を断られたときに初めて気づいたんです。閉鎖された蒸溜所のウイスキーが、突然オークションで高値を付けるようになり、はっと目を覚ましました。『失われた蒸溜所』とはよく言ったもので、実際にウイスキーの在庫は消えてなくなる運命にあると悟りました」

スキンダー・シンは、シングルモルトのミニチュアボトルを熱心に集めていた。個人のコレクションとしては、おそらく世界最大と言われていたほどだ。その後は関心がフルサイズのボトルに移行し、すべてのスコッチウイスキー蒸溜所から特別なボトルを1本ずつ集めることが目標になった。

シンが初めて購入した「失われた蒸溜所」のボトルは、たまたま1920年に閉鎖されたエディンバラ近郊のカークリストン蒸溜所によるピュアモルトウイスキーだった。数年後からは、特にポートエレンをターゲットにするようになった。

そんなシンも、現在はアイラ島でポートナーチュラン蒸溜所を建築中である。もともとアイラ島に特別な愛着を感じていたから、ポートエレンに惹かれるのは自然なことだったのだろう。当時のゴードン&マクファイル社はポートエレンの扱いが少なく、シグナトリー・ヴィンテージ社も同様。ダグラスレインがリリースを始めたばかりという希少性にシンは注目した。

「手に入る限りのポートエレンを集めてやろうと思いました。調査を始めてから、ディアジオがかなりの数の樽を保管していることに気づきました。今ではその多くを私が買い取り、ボトル995本のポートエレンを所有しています」

失われた蒸溜所だからといって、何でもコレクターやウイスキー愛飲家のターゲットになるわけではない。シンいわく、ウイスキーの品質が何よりも重要だ。

「ブローラが高値で取引されているのは、単に失われた蒸溜所だからではなく、品質に優れたウイスキーだから。ポートエレンも同様ですよ」
(つづく)