余市の幻影

February 17, 2012

足を運ぶたびに「なぜこの地だったのか」と自問する。日本ウイスキーの父は、余市にスコットランドの夢を重ねていたのか。(文:デイヴ・ブルーム)

1930年代、本州の中央部からやってくる人にとって、この北海道西岸の漁港は世界の果てのように思えただろう。しかし、余市には何かがある。この街の匂い。このロケーション。竹鶴政孝は、キャンベルタウンで過ごした日々を、余市で思い出したのではないか。この地に白羽の矢を立てた理由のひとつが、その青春の記憶であると想像するのは難くない。

蒸溜所を建てるには、良い水があり、大麦が穫れ、石炭や木材などの供給が潤沢で、鉄道と港が近い場所が必要だ。理想の蒸溜所建設を夢見た竹鶴の日記には、まさにそのような記述がある。そして答えは自明だった。北海道。当時の日本で、そのような条件に恵まれた場所は、北海道以外になかった。

当時の竹鶴は、かつての上司である鳥井信治郎と正反対の理想を描いていた。鳥井がより軽快な日本流のスタイルを求めたのに対し、竹鶴は豊満で、力強く、スモーキーなウイスキーがつくりたかった。

城のような石造りのアーチ道を歩いていると、そんな思いが一塊になって去来する。巨大な赤い屋根のキルン。分厚く降り積もった雪。ここの蒸溜所は、日本の他のどこの蒸溜所よりもスコットランド的だ。

原点へのこだわり

事実、余市はスコットランド産のモルトも使っている。ヘビーピート、ミディアムピート、ノンピートの3種類だ。しかしマッシュタンから出てくる麦芽汁は水晶のように透明で、仕上がりのクリアなフレーバーを体現するかのようである。これは最初の麦芽汁が還流され、ゆっくりと流れ出すためだ。

杉本淳一工場長が説明する。「イースト菌は1種類。これが竹鶴政孝の原点であり、余市にもぴったりなのです」。5日間の発酵でフルーティーな風味を育てた後、ウォッシュは2つのポットスチル、さらには4つのスピリットスチルに分けて投入される。

創業時よりスタイルの幅は広がったものの、伝統はそのままだ。銅製の窯の下では炭火が焚かれ、スピリッツの芯に重みを加える。蛇管式のコンデンサーを使用することも、この特性を強めている。「石炭を使うことで、ほとんど焦げているようなスモーキーさが得られます。ウイスキーをリッチで、ヘビーで、パワフルにつくりたいという、男性的なスタイルなんです」。

ニューポットは、主にアメリカンホワイトオークの樽で貯蔵される。カスクの種類にはいくつかあり、いくばくかのシェリーバットや、ミズナラ樽も使用している。北海道のミズナラの森は、竹鶴を魅了した要素のひとつだった。余市の特徴は、そのオイリーさにある。

日本とスコットランドのウイスキーを比較するのは間違いだと承知しているが、余市はどうしてもスコットランド沿岸のモルトを連想させる。後年のブローラ。ロングロウ。時にはアードベッグ。しかしその一方で、余市はこれらのウイスキーとも違う。フレーバーの精密さと、深みのなかで一塊になる果実感。そう、余市はとても豊満だ。しかし力強さに気を取られていると、繊細さを見逃してしまう。

テイスティングをしながら、竹鶴政孝と妻リタについて語らう。すると、どこからともなく飛来した2羽の鷺が、夫妻の墓を見下ろす一対の松に止まった。彼らの魂を守護する精霊からの使者だろうか。

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