オーク材と樽製造の技術は、人類の産業に合わせて変化してきた。かつて万能の木製容器だった樽の製造は、ワインやスピリッツの熟成に特化した技術として生き残っている。

文:クリス・ミドルトン

 

英国とフランスでは、16世紀初頭までに大量の天然オーク材が伐採された。当時は軍艦や商船の需要が高まり、造船や住宅などの建築産業が発展した時期。建材はもちろん木材が中心だった。スコットランドの古代林も、1600年までに国土のわずか5%にまで減少したと考えられている。

かつてはさまざまな液体の保存や移動に活躍した木製の容器。木樽の製造には樽材を熱で曲げる工程があり、オーク材の香味が発見されるきっかけになった。メイン写真は、チャーリングを施されて炭化した樽内部のオーク材。

イングランドは1585年までにオーク原料の樽や木材を輸出禁止にして、バルト海沿岸のメメルオーク材で代用するようになった。しかし1640年代に米国がアメリカンホワイトオークの出荷を始めると、安価で高品質のオーク材が大西洋を越えて押し寄せるようになった。

北米産のオークは大半がホワイトオーク(学名「Quercus alba」)だが、他の地域の亜種も使用されている。ホワイトオークは木材の糖分(ヘミセルロースとセルロース)が多く、樽材に使用すると甘みが引き出される。リグニンの濃度が高く、加熱で炭化されることによってバニラのような強い香りを放つ。

アメリカンオークはラクトンが豊富なので、ココナッツやシナモンやクローブなどのスパイシーな香味もウイスキーに付与する。チャー(直火)とディープトースト(遠火)で樽材の深部まで熱するほど、多くの糖分と芳香成分がカラメル化されることになる。

またアメリカンオークには、バーボンやライウイスキーなどのスピリッツから不快な化学物質を濾過してくれる特性もある。フーゼル油や硫黄化合物など、ウイスキーには不要な化合物を低減するのに理想的な素材なのである。
 

オランダから伝わったチャー工程

 
オランダにおける樽材のチャー工程は、少なくとも1600年代後半までに始まっていたことがわかっている。当時のオランダでは、ワイン醸造が衰退して穀物原料のスピリッツづくりが隆盛し始めていた。ポットスチルの単式蒸溜でつくられたブランデーや大麦モルトのスピリッツに比べて、穀物原料はフーゼル値の高いアルコールを生成する。

フーゼル油は味覚に不快感を与えて有害性もあるが、濾過以外で除去するのは難しい厄介者だ。それでも樽材の一部を炭化させれば、樽内にできた活性炭が油分を吸収してくれる。同じメカニズムで、発酵や蒸溜中に濃縮された他の望ましくない化合物も濾過できるのだ。

現代ではアメリカンオーク樽に特有の処置と思われているチャーリングだが、もともとヨーロッパではスピリッツの余計な成分を除去する濾過の手段として用いられていた。17世紀の書籍には、チャーリングと思われる樽製造の挿絵も掲載されている(背後の煙を上げている樽)。

樽職人の組合には秘密主義の伝統があったようで、19世紀までは製造技術に関する文書記録はあまり残っていない。それでも文書以外の記録なら存在する。例えば1694年に出版された書籍には、アムステルダムの樽職人が樽をトーストではなくチャーで加熱している様子が版画の挿絵で描かれている。

マイケル・クラフト著『アメリカの蒸溜業』(1804年刊)には、オランダ人がモルト原料のスピリッツから「油と痰」を取り除いて精製するために「秘薬」を使用していたという記載があり、別の箇所では木炭によるスピリッツの精製を提唱していた。

ペンシルベニアにおける初期のウイスキー製造マニュアルでは、「ホグスヘッドに直火を当てることで甘くする」という工程が推奨されている。北米に樽のチャー工程を導入したのは、17世紀後半にペンシルベニアとメリーランドでライウイスキーの蒸溜を始めたオランダ人(特にメノナイト派のキリスト教徒たち)と思われる。ライ麦とトウモロコシを原料にしたマッシュには、樽熟成の前にフーゼル油を除去する木炭濾過(カスクチャーリングまたは粉砕した木炭による桶浸出)が必要だった。

汚れや臭いが染み付いた樽を直火で焦がし、ウイスキーの貯蔵に再利用した例が19世紀のアメリカになかったとは言い切れない。だが何世紀にもわたる経験から、樽の汚れや臭いがチャーで取り除かれないことはわかっていたはずだ。

それでもチャーリング工程は、19世紀よりもはるか以前から実践されていた。ロンドンの樽職人組合では、14世紀後半に樽の流用を禁止した。規格外の材料を使用したり、油、魚、石鹸などの成分が染み付いた樽をビールやワインのような飲料の容器に再利用したりする例はなかったはずである。

そして1404年には、英国議会も樽の使用に関する法令を制定した。製法、容量、木材の品質、樽材の扱いに関して定められた規則は、他の町やヨーロッパの諸外国にも普及した。例えばスペインでも、ワイン用のバットに魚や油などの異物を入れてはならないという法令が1482年に制定されている。米国のボストンでも、1648年から樽職人組合が品質水準を維持するためにロンドンの規則を援用。新大陸の植民地でも、各地の樽職人たちが同様の規則に従うようになった。
 

解明が進む樽熟成の科学

 
さらに18世紀になると、サンクトペテルブルク研究所のドイツ人化学者ヨハン・ローヴィッツが、数百種類の木材を使用した木炭濾過実験を発表した。ジャガイモと黒ライ麦を原料にしたロシア産ウォッカ(フーゼル油が豊富)も実験対象になっている。ローヴィッツは活性炭による不要物質の除去効果に関する研究成果を1786年に発表。その内容は、穀物を原料としたスピリッツ製造者の多くが1世紀以上にわたって目撃してきた体験を裏付けるものだった。

この木炭濾過の効果は、瞬く間にヨーロッパの科学界に広まった。19世紀に入ると、フランスを代表する蒸溜化学者であり蒸溜所経営者でもあったジャン=アントワーヌ・シャプタルが、ホグスヘッドを炭化させる実験を開始。この実験によって、穀物以外の原料を蒸溜したスピリッツについてはチャーの効果がなく、むしろ避けるべきであるとわかった。

チャーリングは再生樽に欠かせない技術でもある。ジム・スワン博士が開発したSTR樽は、古樽を効率的に再利用するサステナブルな方法だ。

こうしてフランスとスペインでは、チャーが熟成中のワインやブランデーの香味を損ねるものとして否定されるようになった。アメリカのブランデー業界も1913年に法令を定め、チャーを施した樽で貯蔵したブランデーは、樽材に「C」の文字を焼き付けることで識別できるようにすることを義務付けている。

フランスのラングドック地方では、ブランデー用のバリックをごく短い時間だけトースト式に加熱していた。これは木のエグ味を抑えながらタンニンを活性化するためである。また19世紀のスペインでは、農学者のホセ・デ・イダルゴ・タブラーダが「チャーは熟成ではなく、発酵後のシェリーのぶどう果汁の濾過を助ける」と書いている。つまり新樽の内部を炭化させることで、果醪と木材の両方を腐敗から守る効果が高まる。シェリーの生物学的熟成と酸化的熟成の過程では、オーク材の成分が抽出されて酒質に与える影響を最小限に抑えるため、成分の抽出が済んだニュートラルな樽が必要とされる。

水、スピリッツ、ワイン用の樽にチャーを施すことで、有害な化合物を除去して腐敗のリスクを減らせると主張したのは英国のウィリアム・ニコルソンだ。スコットランドとアイルランドでは、大型のシェリーバットやホグスヘッドでウイスキーを貯蔵する際はチャー工程を避ける慣例があった。フーゼル油の少ないソフトなモルトスピリッツは、チャーを施した樽材の強力な化合物にさらされると香味が損なわれてしまうからだ。

また1820年代にオーストラリアでスピリッツ蒸溜が始まった当初、地元の出版物は植民地時代のラムやウィスキーの粗悪な風味を改善するため、「新しく焼き付けた樽」でフーゼル油を除去する精製技術を推奨していた。

商品の輸送や保管に使われる木製容器の生産は、20世紀初頭にピークを迎えた。当時のアメリカでは年間10億本以上の木製樽が製造され、英国には1926年の時点で8600人の樽職人がいた。だがプラスチック、金属ドラム、コンテナなどが発明されると、世界の樽製造業は壊滅的な打撃を受ける。オーク樽が活躍する場は、アルコール飲料の熟成と貯蔵に限られるようになった。

天然のホワイトオーク新樽に、チャーを施すのは今でも北米特有の慣習だ。それでも英国などのウイスキー蒸溜所でも、中古のオーク樽の熟成効果を長持ちさせる新技術が生まれつつある。シェーブ(表面を削り)、トースト(遠火で加熱し)、リチャー(再び直火で焼き付ける)という工程(通称STR)を経て、古いワイン樽や酒精強化ワイン樽が次々と再生されている。限られた資源を無駄にせず、ウイスキーづくりに欠かせない成分の寿命を延ばすための技術だ。