ヨーロッパの植民以前から、脈々と続くシガーの伝統。シガーを知ることで、キューバの複雑な歴史と文化も見えてくる。

文:クリストファー・コーツ

 

アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』が出版されたのは1844年。わずか21年前の1823年には、スコットランドとアイルランドで物品税法が導入されていた。この『モンテ・クリスト伯』は464,234語で書かれた大作だが、作中で一度もウィスキーについて触れていない。だがシガーについては24回も言及しており、とりわけキューバ産シガーについては4回にわたって最高の賞賛を与えている(登場人物の言葉によると、イタリア産シガーの葉巻は評判が悪い)。

その代わりに、モンテ・クリスト伯爵はブランデー、シェリー酒、マラガワインなどを飲む。このような事実が伝えているのは、キューバ産シガーの魅力が時を経ても衰えていないこと。そしてシガーの普及が、ウィスキーの普及より少なくとも1世紀は先行していたという歴史的な事実だ。

乾燥小屋で作業するハバノスの従業員。シガーはキューバが世界に誇る重要な輸出品だ。

実際にキューバのタバコ産業は歴史が古い。ヨーロッパによる植民地化の遥か以前から、人々はタバコを栽培して嗜好品とし、商業化によって国外にも輸出されてきた。

現在も世界有数の高級ブランドとして知られる「コイーバ」は、国営企業ハバノス社の主力製品である。コイーバというブランド名は、カリブ海の先住民タイノ族が吸っていた巻きタバコの原型に由来する。もともとは素朴だったコイーバは、どのように進化して反帝国主義の革命を象徴するようになったのか。

共産主義者の抵抗を象徴しながら、他方では資本主義的エリート主義にも結びつく一見逆説的なシンボル。コイーバに代表されるシガーの複雑な歴史は、キューバという島で暮らすキューバ人や国家の歴史と複雑に交錯している。この詳細な背景については、何世代にもわたって研究する価値があるだろう。

シガーを吸い始めて10年になる私にとって、今回のフェスティバルはさらに学びを深める好機になった。招待してくれたのは、キューバ産シガーの英国輸入総代理店として名高いハンターズ&フランカウ。創業家のフリーマン一族が経営する3社が合併した企業で、創業以来233年の歴史がある。キューバ産シガーは1820年以来の中核事業であり、合併以前の1911年には当時創業74年だったブランド「ラモン・アロネス」を買収した。このシガーは、20世紀後半まで英国で絶大な人気を誇っていた。

ハンターズ&フランカウは1935年にモンテクリストの創設に関わり、1990年にはキューバ産シガー全ブランドの英国総輸入元となった。現在も英国に輸入されるすべての製品を開封し、小売店に転送される前に専門家によって厳格に品質を検査する(EMS品質管理)。古く希少なストックを発売する「ハウス・リザーブ・シリーズ」も業界では有名だ。当代はシガーを取り扱って6代目となるジェマ・フリーマン社長。キューバ産シガー界では比類のない地位を確立しており、最高のフレーバーと専門知識で信頼される会社だ。

ジェマ社長は20年近くシガー事業に携わっており、キューバには何度も足を運んでいる。同僚のジミー・マクギー(コミュニケーショントレーニング部長)、ショーン・クローリー(セールスマーケティング部長)と共に、今回のイベント週間でも精力的に業界内の人々と交流していた。会う人に様々な質問を投げかけ、熱心にメモを取り続ける。このようなシガーへの愛は、ウイスキー業界にも通じるものがある。
 

人々の英知で守られる産地ブランド

 
ハンターズ&フランカウのセールス&マーケティング顧問を務めるアナ・ロペスも同様だ。アナは若い頃にタバコの乾燥小屋で働き始め、その後もタバコ業界を離れることなく出世してハバノス社のマーケティングディレクターを15年近く務めた。

フェスティバル期間内に現地で出会うキューバ人たちにも同じことが言える。たとえばエウメリオ・エスピノ・マレーロは、タバコ研究所で40年以上キューバ独自の品種開発に携わってきた。タバコ遺伝学の第一人者であるエウメリオは、収量、害虫への強さ、そして最も重要なアロマのバランスを追求している。数十年の経験を振り返りながら、今でこそ笑い話になった苦労についてユーモアを交えながら語ってくれた。

パルタガスのマスターブレンダーを務めたアルナルド・ヴィショット。2018年に80代で引退したが、今でもシガーへの情熱は衰えていない。

マレーロが経験した最大の危機は、1970年代後半に始まった青カビ病だ。キューバのタバコ産業は壊滅の危機に瀕したが、14年にわたる辛抱強い研究の末に新品種を開発。エウメリオによると、耐病性とアロマを兼ね添えた品種は収量が悪く、収量と耐病性に優れた品種はアロマが悪かった。何万本ものテストを経て、チームが絞り込んだのは8品種。そのうちの2品種のみがテイスティングパネルを通過し、1990年代のシガーブームを牽引する新品種が導入されたのである。

サン・アントニオ・デ・ロス・バニョスにあるタバコ農園「ラサロ・ペーニャ」の生産責任者を務めるアルマンド・トルヒージョ・ゴンサレスは、今年で40回目の収穫を迎えている。2022年9月のハリケーン「イアン」による被害からもほぼ立ち直り、今年は95ヘクタールの農園から記録的な50トンの高級ラッパーリーフを収穫できる見込みだ。

アルマンドは、チームが採用している科学主導のアプローチについて誇らしげに語ってくれた。それは水と肥料の使用量を極限まで抑え、ユッカとバナナの3年輪作で土壌を健康に保つアプローチである。米国による禁輸措置が続くキューバでは、貴重な資源を節約する農法の実践が欠かせない。

アルマンドは、キューバ産タバコの栽培を成功させる要件が3つあるという。まずは良好な気候、そして鉄分が豊富な弱酸性の土壌、さらには世代を超えたノウハウだ。近年は気候変動が本格化し、天候がますます不安定になっている。新たな課題に対し、アルマンドのような専門家がキューバを代表して対応しているのだ。

その後、かつてパルタガスのマスターブレンダーを務めたアルナルド・ヴィショットにも会った。現在すでに90代で一線からは退いているが、シガービジネスに携わった70年以上の逸話を披露してくれた。キューバの有名ブランドの多くや象徴的なヴィトラのブレンドレシピに携わっただけでなく、パレスチナ解放機構のヤーセル・アラファト議長や、ウィンザー公爵夫人といった著名人のために個人的なブレンドを手がけた思い出を回想してくれた。

アルナルドは映画『ベスト・キッド』のミヤギ師匠を思わせる風貌で、話し始めるだけで工場の従業員たちが集まって耳を傾ける。何人かは目に涙を浮かべながら昔話に聞き入っていた。
(つづく)