ラベルを読む・1 【グレンファークラス】

November 11, 2013

ウイスキーライターでラベルの専門家 ハンズ・オフリンガが、幾つかの蒸溜所を取り上げてブランドとラベルの進化を探る新シリーズ。第1弾ではグレンファークラスのラベルの歴史を掘り下げる。

19世紀、人々は水差し(ジョッキ)を持参して蒸溜所やパブ、スピリッツ業者の樽から直にウイスキーを購入していた。余裕のある者は樽で買って、家に届けさせた。ガラスが普及した1870年頃にやっとウイスキーも瓶詰めされるようになり、棚に並べたときにブランドを見分ける必要が生まれた。初めは生産者の名前をボトルに吹き付けていたが、間もなく紙製のラベルが作られた。当初は白黒印刷のみで、各種のブレンド品が先ずこの新たなマーケティング手段を利用した。

古いものではヘンダーソン&ターンブル「エイコーン・ブランド」と呼ばれるものがあった。この名前は樽のそもそもの始まりを意味していたのかもしれない―エイコーン、つまり、ドングリ。北ハイランド地方のあるウイスキー・メーカーが木材の管理について言ったことが思い出される―「良い樽材を得るためには、必要とあればドングリまでさかのぼりもします」。樽を造れるまでにオークが育つには、少なくとも80年はかかるから、この蒸溜業者は相当に長生きしなければならなかったろう。

最古ではないとはいえ、その部類に入るのがティーチャーズだ。古いボトルに破れたラベルが生き残っている。ラベルの糊を調べたところ、1860年代後期のものだった。

ラベル付きボトルで登場した最初のシングルモルトのひとつが「独立精神」を標榜するグレンファークラスだった。最初の例は1880年頃のもので、シンプルさにおいて秀でている

当時、生産されたウイスキーの大部分は小売業者と独立系ボトラーズに販売されていた(グレンファークラスが製品のボトリングを他者に許可せず、毅然とその名を守っている今日では考えられないことだ)。
1910年のラベルに見られるように、名前の後にまだ「グレンリベット」が付いていた。それによって補足されるのは蒸溜所の情報だ。ブランドの成長を強調するためか、あるいは世紀の変わり目に蒸溜所が再建されたことを示すためだったのかもしれない

グレンファークラスが、シンボルでもあるパゴダ屋根をいつラベルに導入したのか、正確には分かっていない。ジョン・グラントによると、一番手のダルユーイン蒸溜所のキルンに次いで、業界では2番目に古い
かなり長い間、グレンファークラスのパゴタ屋根はラベルの最上部に配置されていたが、最近になって下に移動し、シンプルだが印象的な蒸溜所のスカイラインと統合された

グレンファークラスという名前の色は大抵は赤だが、例えば1980年と1987年の2つのラベルのように、ゴールドのこともある。「105 」(トップ画像) はまだつくられているが、104は1995年に製造中止になった。

20世紀への変わり目に、グレンファークラスはミレニアムを祝ってユニークなシリーズの生産を決定し、「ザ・スコティッシュ・クラシック」と命名した。このラベルはスコットランド人アーティスト数人のグループがスコットランド文学から着想を得て作成したもので、美しい細密画作品のシリーズができた。『アイバンホー』(サー・ウォルター・スコット)『タム・オ・シャンター』(ロバート・バーンズ)『宝島』(ロバート・ルイス・スティーヴンソン)などがある。当然ながら、このシリーズはコレクターズアイテムになった。ラベルは30種類あるから、すべて集めるには相当な軍資金が必要だ。

   

長い年月の間に、グレンファークラスはクリーム色からライトグレー、ライトブルー、オークル、黒と様々な色を試した 。外装は時代ごとにあらゆる色を経てきた。
最近のデザインは落ち着いたものになり、私はこの方が気に入っている。これは派手な色彩を使って目を引く必要などないウイスキーなのだ。中身の品質が十分にその役目を果たしている。

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