世界的に人気が高まるライウイスキーの世界で、ヨーロッパの先駆者といえばオランダのズイダム蒸溜所。個性あふれるマスターディスティラーを訪ねた2回シリーズ。

文:ティス・クラバースティン

オランダの北ブラバント州にあるバールレ=ナッサウは、ベルギーと国境を接する小さな町だ。家族経営のズイダム蒸溜所に到着したものの、ここがヨーロッパにおける近代ライウイスキー発祥の地だと示す標識などはない。蒸溜所は町はずれの工業団地にあり、周囲にはインテリアショップ、自動車販売店、自治体のゴミ収集施設などが並んでいる。

ビジターセンターはおろか、看板も出していない質素な蒸溜所だ。それでも外の舗道に置かれたシェリー樽(ソレラ用)がヒントになる。近々スピリッツが樽詰めされるのを待っているのだろう。だがこの近代的な建物の中で、いったい何がおこわれているのかは外から見てもわからない。

1975年創業の家族経営で、現在は2代目のズイダム蒸留所。取り扱いが難しいライ麦を原料にしながら、ポットスチルの蒸溜で繊細な香味を引き出すことにこだわっている。

だがズイダム蒸溜所は、実際にすごい蒸溜所なのだ。ライ麦100%、100プルーフ、100ヶ月熟成、100%ポットスティル蒸溜、100%オランダ風車による製粉。たくさんの「100」を同時に達成した「ミルストーン 100 ライウイスキー」(2023年ワールドウイスキーアワードでワールドベストライに選出)で注目を集めている。質素な外観は、質実剛健の表れと理解することもできる。

穀物としてのライ麦は、ヴァン・ズイダム家が代々受け継いできた遺産である。それだけでなく、蒸溜所の周辺地域やオランダという国にとって大切な農業文化といってもいい。だがライウイスキーがオランダの伝統かといえば、それほど象徴的な産品でもない。

オランダでは、何世紀にもわたってライ麦原料のスピリッツが蒸溜されてきた。ライウイスキーが北米で一般的なウイスキーとなる過程では、オランダ移民がライウイスキーづくりに関わったはずだ。しかしそのずっと以前から、ライ麦はウイスキーとジンの間を埋めるオランダの伝統的なスピリッツ「ジェネバー」の重要な穀物原料だった。

現在でもジェネバーのマッシュビルにはライ麦が含まれていることが多く、時にはライ麦の比率が3分の2を超えることもある。これは米国のライウイスキーと比べても、かなりライ比率が高い部類に入る。

ズイダム・ディスティラーズの2代目マスターディスティラー、パトリック・ヴァン・ズイダムが地元とライ麦の歴史について説明する。

「ライ麦は、この地で生育できる数少ない作物のひとつでした。このあたりは土壌が悪く、砂地が多いので、他の作物はうまく育ちません。でもライ麦は、どんな環境でも間作物として簡単に育てられます。だからオランダの蒸溜酒メーカーにとって伝統的に重要な穀物だったのです。ライ麦は余剰穀物になることも多いので、よくジェネバーやビールに使われてきました」
 

創業約50年のクラフト蒸溜所

 
スコットランド、アイルランド、アメリカなどの蒸溜所のように、何世紀も前からライウイスキーをつくってきた訳ではない。それでもズイダム蒸溜所は、最近のクラフト蒸溜所よりも長い歴史がちょっとした誇りである。設立されたのは1975年のことで、パトリックの父にあたるフレッド・ヴァン・ズイダムが立ち上げた。当初はリキュールやジェネバーなどの多彩なスピリッツを製造していたという。パトリックが、父の事業について回想する。

「優しくて温厚な人でしたが、高品質を極めることにかけては狂信的でした。技術的な細部に執拗なまでにこだわり、自分の仮説を確かめるまで諦めませんでした。口癖は、大手ブランドとの差別化。有名メーカーよりも品質が良く、魅力があり、味わいが深く、大手にはできない価値観を提示しようとしていました」

ズイダム蒸溜所の2代目マスターディスティラー、パトリック・ヴァン・ズイダム(メイン写真も)。ウイスキーブームが始まる以前からクラフト精神を貫いた父の跡を継いで、さらに独自のウイスキーづくりを進化させた。

しかし1970年代は、蒸溜所を設立するのに最適な時期ではなかった。品質重視の小規模な生産者は、周囲にほとんどいない。限られた規模の市場で生き延びるしかなかった。母ヘレンの存在がいなければ、事業が続けられなかったであろうとパトリックは言う。特に資金繰りが厳しかった黎明期には、母の忍耐だけが頼りだった。

両親の蒸溜所で育ったパトリックは、父親からスピリッツづくりの面白さを教えられ、母親からは粘り強い性格を受け継いだ。パトリックと弟のギルバートは、幼い頃から小さなポットスチルの掃除を手伝っていたという。

この仕事に、手抜きは禁物だった。自分たちの掃除がおろそかだと、翌日にスピリッツを試飲した父が見破ってしまう。勤勉さと細部へのこだわりは、そうやって早くから教え込まれたのである。

パトリックは、生涯をかけてスピリッツづくりの技術を学んできた。自信に満ち溢れた男だが、その自信は決して傲慢なものではない。他のウイスキーメーカーたちには、いつも同士としての敬意を払っている。

実直な性格で、謙虚にもふるまえる。だが自他ともに認めるコントロールフリークでもある。ライウイスキーの蒸溜には、2000年代前半から挑戦を始めた。ライ麦は扱いにくい穀物として知られているにもかかわらず、誰にも相談しなかったのはライ麦の特性を知り抜いていたからだろう。

当時のパトリックは、すでに少なくとも10年以上前からライ麦を蒸溜していた。ライ麦を70%含む「ライジェネバー」は定番商品だった。当時のヨーロッパでは、ライ麦100%のライウイスキーはおろか、原料の一部にライ麦を使うウイスキー蒸溜所でさえ皆無に等しかった。
(つづく)